「あんなへぼ球団に二つもやられるなんて…」
しかしグラウンド上では熱い試合と、時には舌戦が繰り広げられていた。1986年、6~7月にかけて13連敗の泥沼に沈んだ大洋は、その後少し持ち直して球宴休みに突入。気分を切り替えていざ後半戦、と迎えた初っ端のヤクルト戦でいきなり3連敗。特に2~3戦は連続完封負けを喫し、普段から怒りっぽく「瞬間湯沸かし器」の異名をとった近藤貞雄監督は当然怒り心頭。「あんなへぼ球団に二つもやられるなんて、うちはへぼへぼだ」(7月28日付神奈川新聞より)と衝撃の「ヘボ発言」をぶちかましたのだ。これに「そりゃないぜ」と反発したチャキチャキの江戸っ子・土橋正幸監督率いるツバメ軍団はそのまま勢いづいて7連勝。一気に大洋と同率5位に並んだのである。
まさしく「口は災いの元」を地で行く話だが、実は大洋とスワローズの間には、それ以前にも似たような逸話が残っている。1962年終盤戦、阪神と首位を争っていた大洋は9月19日、最下位の国鉄スワローズ相手に痛い1敗を喫すると、三原脩監督が「死に馬に蹴られたようなものです」と発言。これに憤慨した国鉄ナインはその後阪神戦で全敗。大洋の優勝を阻止するという仕返し(?)を行ったのだ。
ずっと仲良く下位争いをしていたものだから、87年に選手育成に定評がある前大洋の関根潤三監督が就任し、池山隆寛と広沢克己の「イケトラコンビ」が強打者に成長。さらには後を継いだ野村克也監督がチーム力を着実につけていった90年代初頭、われわれ大洋ファンは強くなっていくヤクルトをただただ羨ましく眺めていた。91年6月、12連勝の快進撃でヤクルトが首位に立った瞬間の「もうヤクルトはお友達じゃないんだな」という喪失感たるや。だからこそ、大洋がベイスターズとチーム名を変え、ようやく強くなったタイミングで、目の前にいつもヤクルトがいる展開はどこか因縁めいたものを感じるのだ。この2022年もまさか借金9から貯金11まで持ち直すとは思ってもみなかったけど、東京ヤクルトスワローズを、村上を超えない限り優勝には届かない。
もはや7、8月のようにすべてがうまくいく状況ではないし、直接対決3連敗は本当に痛かった。それでも何とかヤクルトに離されまいと必死のベイスターズ。6日の巨人戦も全員野球で延長11回、執念で1勝を掴み取った。全員高いモチベーションを保って連戦に挑んでいるのが伝わる、派手さはなくても凄い勝ち方だった。11日から横浜でヤクルトと2連戦。そして23日から神宮で3連戦。願わくばこの5試合が「首位争い」であってほしい。そしてCSで必ずスワローズと相まみえたい。それが80年代からのベイスターズファンの切実な思いである。
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