去年10月、ナゴヤ球場に隣接している選手寮の昇竜館は静かだった。ほとんどの寮生は宮崎フェニックスリーグへ遠征中。名古屋残留の怪我人も帰宅していた。そんな夕食前の食堂に3人の姿があった。
「来年から育成契約になる」
張り詰めた空気に響いたのは中国四国担当の野本圭スカウトの声だ。横には神妙な面持ちの松永幸男スカウト部長がいた。左肩痛からの復帰を目指していた福島章太は小さく頷くしかなかった。
「去年は怪我ばかりで戦力になれなかったですし、薄々感じていましたが、実際に言われた時はショックでした。野本さんが『親には伝えなさい』と言ったので、部屋に戻って電話をしました。両親は『頑張りなさい』と。ただ、選手にはしばらく言えなかったですね。落ち込んでいることを悟られたくなくて」
福島は2020年のドラフト会議で中日の4位指名を受け、倉敷工業から入団。「マウンド度胸と右バッターのインコースに投げるクロスファイアーに魅力を感じました」と野本スカウト。彼にとって福島は初めて獲得に携わった選手だ。
「スカウトは第二の親です。だから、大事なことはどうしても自分の口から直接伝えたかった。2人で思いを共有すれば、辛いことは半分に、嬉しいことは倍になると思っています」
不安、焦り、力み、そして故障
去年1月の新人合同自主トレ。この時すでに福島は不安を感じていた。「隣でキャッチボールをしていた(高橋)宏斗の球がすごくて。強さも伸びも全然違いました。全国的に無名な自分がやっていけるのか、心配でした」と打ち明けた。春季キャンプを終え、シーズンが始まると、不安は焦りへと変わった。
「宏斗やドラフト同期の(近藤)廉さんが試合で投げ始めていたのに僕はずっとBP(打撃投手)止まりでした。野本さんやコーチには『絶対に焦るなよ』と言われていましたが、追い付きたい気持ちが強くて、BPは毎回力みまくり。フォームもバラバラでした」
焦りは力みとなり、力みは怪我へと繋がった。5月下旬、左肩関節唇損傷。ノースローを余儀なくされた。
「左手でシャンプーは無理でした。タオルで体もふけませんでした。日常生活は右手だけ。めちゃくちゃ後悔しました」
リハビリも一進一退だった。キャッチボールが30mまで進むと、痛みが出て振り出しに戻る。これを2回も繰り返した。気付けば、シーズン終了。ただ、徐々に左肩は回復し、11月の秋季キャンプからは全体メニュー参加が決定。その矢先の育成契約宣告だった。
「年が明ける頃には吹っ切れていました。今年の目標は絶対に1年間怪我をせずに過ごすこと。どんな時も焦らない。この世界で同じミスを繰り返すやつに未来はないと言い聞かせました」