2021年10月11日、ドラフト会議。福岡ソフトバンクホークス育成4巡目、その名は呼ばれた。三浦瑞樹・投手・東北福祉大学。しかし、正直に言うと私は最初気付かなかった。あの日から5年間、忘れられない唯一無二の高校球児としてこの心の中に君臨しつづけていたのに。三浦瑞樹投手? 同姓同名の別人? え? ご本人? なぜならあの夏より、体が3周りくらい大きくなっていた(河野調べ)からだ。
一目惚れした、あの夏
2016年、夏の甲子園。盛岡大附属高校2年生ピッチャーとして初登場。まだ華奢なシルエット。ピンチで登板しては抑え、流れを持ってきて、味方の得点を呼び込む。私はテレビに釘付けに。そのゲームメイクに一目惚れしたんだ。結果、その大会ではリリーフ登板で2勝。先発登板でも難しい勝ち星を次々にもぎとった。敗退することとなった試合で、ベンチに下がり、こらえきれない涙をボロボロ流しながら声を出す姿だって、鮮明に覚えている。
野球は人生の哲学書だ。私はそう思って生きてきた。三浦投手のピッチングはかく語りき。「どんな苦境でも、自分の持ち味を貫いてぶつかっていけば、必ずこちらにチャンスは来る。流れはこの手で作り出せる。年齢もネームバリューも関係ない。勝利に執着せよ」。勝手な解釈なのは承知だが、それは当時歌手活動を満足にできず迷子になりかけていた私にとって、かけがえのない道しるべになった。
昨季引退された松坂大輔投手。多くの野球ファンが「伝説」と呼び特別な敬意と愛情をもって応援した。私にとっては、三浦投手が今、その椅子に座っている。
自分の名前より「三浦瑞樹」でエゴ(?)サーチ
三浦投手がソフトバンクホークスの一員としてNPBにいる。しかも、東北福祉大のエースとして経験を積み、さらに強くなって降臨。私はといえばその後歌手活動を再開しインディーズ活動を経て2019年に再メジャーデビュー。毎日は輝きを増した。こんな日が来るとは。
念願のプロ野球選手となった三浦投手。とはいえ、育成契約からのスタート。開幕当初は三軍戦での登板が多く、試合映像を見つけ出すことに四苦八苦。ひとまずホークス公式SNSの発信をもれなくチェック。習慣であるエゴサーチも、今季は自分の名前より「三浦瑞樹」で検索をかける頻度の方が高い。タマスタ筑後で観戦されたファンの方が投稿されたレポートや写真を、一心不乱にいいねする日々。そんな中、限られたチャンスでしっかり結果を残した三浦投手は、二軍戦で先発ローテーションを回すように。情報を得やすくなりファン大歓喜。その軌跡を一ミリも見逃したくないのでホークスTVにも加入した。三浦投手の登板日、オフを申請して一日ガッツリ応援するDayにあてた日もあった。