“ブルペンリーダー”と呼ばれた、その存在感。個性派ぞろいのプロ野球選手にあって、三上朋也はいい意味で普通の人というか、市井の人たちと似た感覚を持っている人間だ。逆に、それが誰も持ち得ない“個性”としてチームのなかで光り輝いていた。

 今オフ、三上は9年間所属した横浜DeNAベイスターズから契約を更新しない旨を告げられた。毎年やってくる、お別れの季節。そのたび寂しい思いをするのだが、チームが三上を失うのは戦力以上に影響が大きいのではないか、と思わずにはいられなかった。

「いやいや、僕なんかたいした存在じゃありませんよ」

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 飄然とした風情で、三上がいつも口にしていたセリフ。その声色は今も耳にしっかりと残っている。

「わかりやすく言えば“お兄ちゃん”」

 デビューイヤーは鮮烈だった。法政大学からJX-ENEOSを経て2013年のドラフト会議で4巡目指名されて入団。サイドとスリークォーターを織り交ぜた“千手観音投法”で、不振だったホルヘ・ソーサに代わって当時の中畑清監督からクローザーに指名され、ルーキーながら21セーブを挙げた。ブルペンに新風を吹き込んだ三上の大活躍、この成功体験が翌年の山﨑康晃のクローザー抜擢に繋がっていくことになる。

 その山﨑が懸命に抑えをするなか、三上はセットアッパーにまわり、また自分より3つ歳下の新人ストッパーが苦しんでいれば、自ら抑えに立つこともあった。

「ホント、三上さんには頭が上がらないんですよね」

 山﨑は苦笑しつつ言う。三上のバックアップがあったおかげで今の自分があるという。

「三上さんら先輩たちが、僕たち後輩が過ごしやすいブルペン環境を作ってくれたんですよ。それは間違いないと思います。三上さんはわかりやすく言えば“お兄ちゃん”。ブルペンのなかを一番よく知っているし、中心人物として良い判断を僕たちにもたらしてくれる。言葉数は決して多くはないんですけど、大事なことを伝えてくれるし、また背中で引っ張ってくれる先輩なんです」

 そう山﨑が言っている横で、三上は「いやいや」と首を振るのだ。

「うちのブルペンは皆が共通意識を持って輪になっているというか、誰かが中心になって盛り上げなくても、それぞれが自分の役割をわかっているし、同じ目標に向かって行けるメンバーなんですよ」

左から今永昇太、三嶋一輝、山崎康晃、三上朋也

三上のことを話しているときの三嶋は、本当に楽しそうだ

 身長190センチ、頭ひとつ飛び出たノッポの兄貴は、ひときわ高い目線からヤンチャな弟たちを優しく見守ってきた。とくにヤンチャだったのが法大の1学年後輩の三嶋一輝だろう。敬愛を込め三嶋は、三上について次のように語る。

「まず人とは違う考え方を持っているんですよねえ。例えば僕は“絶対にプロになる!”と前しか向けない調子こきのタイプ。学生時代、よくご飯に連れて行ってもらったんですけど『三上さんはプロに行きたいんですか?』って訊くと『あ~、プロ? 行けたらいいよねえ』 みたいな感じで、絶対にハラワタを見せない(笑)。けど、結局プロの世界に入ることを実現してしまう、不言実行のタイプなんですよ」

 三上のことを話しているときの三嶋は、本当に楽しそうだ。

「石田(健大)とかもそうですけど、目的意識を持って野球をやっている後輩をすごくかわいがってくれたし、一方でダメなものはダメ、自分に必要がないものは『必要ない』とはっきりとモノが言える。皆が知らないことを何でも答えてくれるし、見ている世界に幅があるんですよ。僕なんかとは真逆の感じで、なにをやらせてもできちゃうんだけど、それを絶対に人には見せない。僕だったらバンバン見せちゃうのに。ホント、いつか大きな過ちを犯して欲しいですね(笑)」

 こう後輩にいじられてもニコニコとしているブルペンの長男。馴れ合いではない、切磋琢磨できる良好なブルペンの雰囲気を作ったのは、間違いなく三上である。