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尊敬する福留孝介との出会い、そして別れ…

 ここ2年、京田にとって心の支えとなっていたのは、よき相談役でもあった福留孝介氏だった。2017年に荒木雅博内野守備走塁コーチの計らいで、福留氏、鳥谷敬氏と4人で会食。そこから打撃のアドバイスをもらうようになり、同じチームになってからはよく相談した。2021年9月10日の巨人戦(東京D)では、自身初の1試合2発をたたき込んだが、このときベンチで狙い球を指示していたのは福留だった。「やばいです。『何も考えずその球だけ待て』と言われたら、その通りに来ました」。状況把握、経験、決断力。生きる教材から多くのことを学んだ。

 福留は今年9月に現役引退を発表。京田は2軍にいたこともあり、記者会見に一人だけスーツで登場してネット界隈をざわつかせたが、球団公式YouTubeがその謎をしっかり解いてくれた。

 福留との思い出の中でも、一番印象に残っている試合がある。昨年8月3日に急逝した木下雄介さんの追悼試合だ。9月5日に行われたDeNA戦で、0-0の8回2死二塁、代打で登場した背番号9は、相手投手のエスコバーににらみをきかせながら、中越え二塁打で決勝点をもぎ取り、大切な試合を白星で飾った。京田自身も左翼線への二塁打で2点目をたたき出している。「家族ぐるみの付き合いだった木下さんの追悼試合で、2人でお立ち台に立てて良かった」と振り返り、こう続けた。

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「本当に大事な場面で打つことができるのが本物のプロ野球選手だと福留さんの姿を見て、改めて思いました。試合後に、荒木さんからも『こういう試合、場面で打つことができる選手がプロの世界で長く野球を続けることができるんだぞ』と言われました」

 バンテリンドームに一番乗りして黙々と走り込む姿、一振りで試合を決める勝負師の顔。どちらも財産として心に刻み込んでいる。今春、何気ない会話の中で「来年は福留さんと一緒に自主トレしたいです」とお願いし、快諾されていた。残念ながら、沖縄での合同自主トレは幻となったが、2年間で学んだレジェンドの姿勢は、京田の血となり肉となったに違いない。

 現在、京田の置かれている立場は崖っぷちだ。後半戦、チームは高卒2年目の土田龍空内野手を要に据えた。土田は、チームの遊撃トップとなる62試合に出場。華麗な守備、立ち振る舞いは19才とは思えない。落ち着きとギラツいた目は、竜の未来を雄弁に示してくれている。さらに、おそらくだが、今年のドラフトや補強で二遊間の競争相手も増えることになる。来年の春季キャンプでは遊撃の3番手、いや4番手からのスタートの可能性もある。もうレギュラーは保証されていない。

 9月23日、バンテリンドームで行われた「福留孝介、引退試合」。2軍の練習を終え、試合開始直後に球場入りして先輩の雄姿を目に焼き付けた。早めの入り時間だったようで、ふと記者席に立ち寄った。「僕ら、こんなところで野球してたんですね」。満員の観客席でまぶしいダイヤモンドを捉える目は、まだ死んでいなかった。宿る闘志もある。このまま終わってしまうのか、京田陽太の大逆襲はあるのか。がむしゃらで不格好な姿でいい。背番号1の意地が見たい。

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