「なんでここにいるんですか?」

 中日・京田陽太内野手から送られた言葉を、僕はそのまま“お返し”したかった。10月1日。横浜でのDeNA4連戦の取材を終えた記者は、会社からの指令で、ソフトバンクを退団する松田宣浩内野手のホークスラストゲームを急きょ取材することになった。

 朝4時すぎに橫浜の関内駅を出発。羽田空港を経由して、タマスタ筑後の最寄り駅・筑後船小屋を目指した。奇しくも、中日との2軍戦だった。11時過ぎ、試合前の打撃練習を行う京田と目が合う。「なんで?」。そりゃそうだ。1軍を追っかけている番記者の動きは、橫浜→広島である。あえて黙ってタマスタへ向かい、驚かせるつもりだったが、それと同時に顔を合わせると「あなたこそ、なんで広島にいないの?」という思いが巡ってきた。

ADVERTISEMENT

京田陽太

苦しみ抜いた2022年の京田陽太

 京田にとって2022年はもがき苦しんだ1年だった。“ゴールデン・グラブ級”の守備力は誰もが知るところ。球団新人記録の149安打を積み重ね、新人王に輝いたルーキーイヤーから徐々に降下線となっている打撃成績を「なんとかしたい」と、昨秋は一心不乱にバットを振った。立浪和義監督、中村紀洋、森野将彦両打撃コーチの指導の下、「二度引き」の悪癖を改善するため大幅な打撃フォーム修正を敢行。腰の辺りでバットを上下に揺らし、早めに頭上高くまで振り上げ、そこから「大根斬り」のように振り下ろす打法を試した。

 そこからオフ期間を経て、春季キャンプに突入。マイナーチェンジを繰り返し、室内での打撃練習中には、何度も「撮って」と依頼を受け、こちらのスマホの通信制限がいっぱいになるまで、大量の打撃練習の動画を京田のスマホへ送り続けた。

 立浪政権の初陣となった3月25日の巨人戦(東京D)。京田は「8番・遊撃」で開幕。しかし、表情は浮かない。3、4月の打率は1割7分6厘。打撃の調子は、守備にも直結してしまった。4月に3失策。一塁・ビシエドの好捕に助けられた見えない送球ミスも、確かに見受けられた。そして、5月4日のDeNA戦(橫浜)で、試合途中に名古屋へ強制送還された。「戦う顔」というパワーワードだけが先行してしまったが、指揮官の期待の裏返しだと僕はいまだに思っている。

 2月のキャンプ中、立浪監督らが新型コロナに感染し、首脳陣のほとんどが宿舎に隔離された。2軍から片岡篤史監督らも駆けつける中、選手会長の京田へ立浪監督から「隔離期間中、チームのことよろしく頼むぞ」と電話も受けた。期待をヒシヒシ感じるだけに、首脳陣の期待に応えられないふがいなさだけが、京田の心を支配してしまった。

 背番号1は、シーズン中必死にもがいた。打てない苦しみから開幕時に比べ、1か月で体重は8キロ以上減った。日大の大先輩で、広島で活躍する長野久義外野手からは、科学的な観点で打撃を解析する都内のトレーニング施設を紹介され、東京遠征のときこっそり通ったこともあった。何より、記者が一番衝撃を受けたのは、高卒3年目で最多安打を争う後輩の岡林勇希に打撃を聞いている姿だった。「絶対この写真は撮らないで」。ひんぱんにカメラを向ける記者を制しながら、5分、10分……。後輩に頭を下げてでもアドバイスを求める姿は撮ることができなかった。

 以前、記者の白髪を指摘されたとき、「僕も白髪がすごくて白髪染めしてるんですけど、それが茶色っぽくなってきちゃうんですよね」と教えてくれた。見かけによらず……というと怒られてしまうが、お互い苦労は絶えないのかな。