「再会する時は僕が大リーガーになった時」
ある時、上林は思いを言葉にした。
「イチローさんと会ったのはあの練習だけ。再会する時は僕が大リーガーになった時」
それだけ日本球界では突き抜けたプレーヤーになるという覚悟を持っていた。その歯車が狂い始めたのは、プロ6年目だった2019年4月から。右手甲に死球を受け病院で打撲と診断された。我慢しながら翌日からも出場を続けたものの5月になっても痛みが引かずに再検査を受けたところ右手薬指の剥離骨折(右第4中手骨掌側剥離骨折)が判明した。
結局この年は、前年にフル出場して好成績を収めた男が打率1割台と低迷した。まさか、その年から3年続けて打率1割台と苦しむとはあの時は誰も想像できなかった。
「バッティングで色々考えすぎてた。シンプルにやること。長谷川(勇也)打撃コーチと『コレ』と決めて、あれこれ悩まずにやってみた」
そうやって挑んだのが昨年のシーズン。栗原陵矢の怪我もあり、出場機会が増えていた。すると見違えたように、いや、これが本来あるべき姿だと言わんばかりのバッティングを見せていた。33試合100打席の成績だが、打率.301、1本塁打、12打点。上林復活を印象付けようとしていた。
その矢先だった。昨年5月18日、試合前に中堅の守備位置でシートノックを行っていた際に右アキレス腱断裂の大怪我を負った。
上林が述懐する。
「フライを捕りに行って捕球態勢に入ろうとした時、右足首から『バゴッ』と音がしたんです。穴にハマったのか。最初はそう思いました。捻ったかもしれない。そう思った次の瞬間、右足に全く力が入らなくて倒れ込んでしまいました」
激痛などは感じなかったという。ただ、ベンチ裏に退いてトレーナーからチェックのために触られると、何とも言えない鈍痛のような嫌な痛みが全身を駆け巡ったという。
「あとはもう解き放つだけですね」
またも怪我に泣き、リハビリ生活を余儀なくされた。今春のキャンプもその影響でB組スタートだったが、2月16日からA組に昇格。開幕一軍争いの中に身を置いている。
右足は完全に元に戻ったわけではない。「かかとを完全に上げることはできるけど、少し上げた状態でキープできないから、全力疾走よりジョギングの方がきつい」「正直、自分の足じゃないみたい」と現在の状態について教えてくれたが、「今の自分と付き合っていく」と決して下は向いていない。
「飛ぶ準備はできてるって感じなんで。あとはもう解き放つだけですね」
意気込みを訊ねると、独特な言い回しが返ってきた。やはり彼はネクスト・イチローだ。
3月5日。この日のPayPayドームではホークスのレジェンドで、1月下旬にこの世を去った門田博光さんを偲んで献花台が設置され、試合前には黙とうが捧げられるなどのセレモニーが実施された。門田さんにも右アキレス腱を断裂した過去がある。しかし、選手生命が危ぶまれた中で復活を果たし、自身のキャリアで記録したシーズン4度の40本塁打以上はいずれもその大怪我から復帰した後に記録した。
この日行われた試合で上林は「1番センター」で先発出場し3打数3安打を記録し、健在ぶりをアピールした。3回、二塁打を放った直後には次打者・今宮健太の左前へぽとりと落ちた打球で本塁まで激走して得点につなげた。
今季のホークス外野陣は例年以上の激戦だ。WBC戦士の近藤健介、牧原大成、周東佑京がいて、そしてチームの顔である柳田悠岐もいる中でポジションを争わなければならない。
「自分がやることは変わらない。自分が『ヨシ』と思えるバッティングを常にしていきたい」
自身6度目となる開幕スタメンへ、切れ長の目には力が宿っていた。
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