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「巨人の選手だったんですか?」巨人をクビになりハローワークに通った田原誠次が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ”

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/05/02
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物議を醸した息子の「最低広島」発言

 本来の僕は、極度の人見知りでした。

 巨人に入団してはじめの頃は、ファンの方々とどう接していいかわかりませんでした。「サインください」と言われても、ほとんど断っていたので気分を害した方もいたと思います。当時は「本当に俺のサインがほしいわけがない。気を遣って言っているのだろう」と思っていました。ファンと目を合わせようともせず、なかば無視するように去っていく。当時のファンの方々には申し訳ありませんが、僕自身どうしていいかわからなかったのです。

 そんな僕を叱ってくれたのが、妻でした。

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「ファンの方がいるから、野球選手はご飯を食べられるんやろ。そういうことをちゃんとしないとダメよ」

 妻からそう言われてハッとしました。それ以来、よほどのことがない限りサインを求められたら「僕なんかでよければ」と書かせてもらうようになりました。プロ野球選手時代と比べて大幅に収入が減っても生活できたのは、やりくり上手の妻の手腕でもあります。

 妻と結婚できたおかげで、もうひとつ成長できたと感じることがあります。

 僕の息子は妻の連れ子で、血のつながりはありません。でも、当時2歳だった息子と初めて会った日、僕は今までにない不思議な感覚に包まれました。

 隣に座った息子にご飯を食べさせ、一緒に風呂に入り、添い寝する。彼と1日を過ごすなかで、確信めいたものがありました。

 あぁ、この子は俺の子だな。

 初めてのはずなのに、初めての気がしない。息子も僕のことを「パパ」と呼んでくれて、何の疑いもなくやっていける自信がありました。

 息子が球場やテレビの前で「パパ~!」と応援している動画を妻がよく送ってくれました。プロの世界で戦ううえで、息子の応援は何よりも大きな力になりました。

 その後、妻との間に娘ができましたが、息子と娘への感情は変わりません。ふたりともかわいい僕の子どもです。

 僕が戦力外通告を受けた時期、テレビのドキュメンタリー番組で僕たちの家族が取り上げられました。息子が言った「ソフトバンク行けんかったら、最低広島に行きたい」という言葉がネット上で切り取られ、物議を醸しました。

 でも、息子の発言の元をたどると、そもそも僕が言っていたことなのです。その時点で、生活拠点を妻の実家がある北九州に移すことが確定していました。運よくプロ球団に拾ってもらえたら、単身赴任になるかもしれない。となると、できればすぐに家に帰れるようなソフトバンクや広島に獲ってもらえたらうれしいなと。

 そうした僕の願望が前提としてあり、小学生の乱暴な言葉選びも相まって不用意な発言になってしまいました。

 ただ、僕の感覚では9割くらいの人が息子を擁護してくださったと感じます。批判する人のほとんどが番組を見ず、言葉だけを知って叩いているようでした。最初に息子を叩いた方からは、のちにSNSを介して謝罪があったと妻から聞きました。

 息子は周りから聞かされ、騒ぎになっていることに気づいたようです。でも、僕たちは「全然大丈夫だよ」と伝えました。騒ぎになったと言っても1週間くらいのことで、すぐに平穏な日常が戻ってきました。

「縁の下の力持ち」になりたい

 娘のリクエストに応えて、髪を青に染めたこともありました。息子も娘もBTSにハマっていて、「ジョン・グクの髪の色にして」と言われたのです。幸い職場は髪色が自由だったので、真っ青に染めてみました。家族からは好評で、自分としても楽しめたのでよかったです。ただ、その後にイベントでお会いした上田剛史さん(元ヤクルト)からは「DJ社長かと思ったわ」と言われましたが……。

 工場の仕事にすっかり慣れた頃、一岡竜司(広島)から電話が来ました。一岡はドラフト同期として巨人に入団した仲でした。彼が卒業した専門学校・沖データコンピュータ教育学院の理事長が、僕と話したいと言っているとのこと。お会いすると、コーチとしてのオファーをいただきました。

 また野球に携われる喜びが沸き上がると同時に、工場長の顔が浮かびました。採用時に工場長からは「いずれ指導者のオファーが来て、抜けることも承知しているから」と言われていました。でも、1年足らずで退社することは申し訳ない。そこで、「すぐには行けないので、仕事の引き継ぎをさせてください」とお願いしました。

 理解のある工場長のおかげで退社が決まり、その後は「僕以上の仕事ができるように」と引き継ぎに全力を注ぎました。2022年5月16日から沖データにお世話になり、野球部の指導に携わっています。工場長とはその後も食事に行かせてもらうなど、いいお付き合いをさせてもらっています。

 巨人に在籍していた頃、僕はヒーローインタビューでこんなことを言った記憶があります。

「僕は縁の下の力持ちになれれば、それでいいです」

 選手ではなくなった今も、その思いは変わりません。朝早くに自宅を出る時、家族の幸せそうな寝顔をこっそり見る。それだけで僕は満足です。

 レストランでは遠慮なく好きなものを食べて、「おいしい」と言ってくれたらそれでいい。家族が笑顔なら、僕はサラダだけでもいいんです。

 巨人をクビになってわかったこと。それは僕が野球を愛していることでした。そして、もうひとつ。これは前々からわかっていたことですが、僕はやっぱり心の底から家族を愛しているのです。

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