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「巨人の選手だったんですか?」巨人をクビになりハローワークに通った田原誠次が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ”

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/05/02
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 まずは、僕が野球を嫌いになりかけた話から始めさせてください。

 幸運にもプロ野球選手になれて、好きなものを仕事にできて、それなりに1軍で結果を残せて。満ち足りた野球人生を送らせてもらいました。

 でも、結果的に現役最終年だった2020年、僕はあんなに好きだったはずの野球が嫌いになりかけていました。調子がよくても、結果を残しても使ってもらえない。1軍に上がるのは若い選手ばかり。プロ9年目、31歳になった僕も「これがプロの世界だ」と理解していたはずでした。

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 それでも、秋が近づくにつれて野球が仕事でなくなる危機感、恐怖感に支配されていきました。11月2日、巨人に戦力外通告を受けた時は、頭が真っ白になりました。12球団合同トライアウトを受けても、NPB球団からのオファーはゼロ。僕は現役引退を決意しました。

現役時代の筆者・田原誠次 ©時事通信社

元プロ野球選手の就職活動

 最初に頭に浮かんだのは家族のこと。僕には妻と息子、娘の家族がいます。現役時代は家族との時間が取れなかったので、半年近くは仕事もせずに家族サービスの時間にあてました。一緒に買い物に行ったり、娘の幼稚園の送り迎えをしたり、息子の学校行事に参加したり。

 それはそれで楽しかったのですが、さすがに仕事をしないと家族を養えません。でも、引退を決めた頃から僕の頭に渦巻いていた感情がありました。

――野球から離れる時間がほしい。

 まるで時間が止まったかのように、僕のなかで野球への嫌悪感が消えていませんでした。指導者の仕事を探す選択肢もありましたが、野球に対して悪い感情を抱いたまま若い人を教えることはできないと思いました。

 とりあえず、アルバイトを始めました。ワクチン接種会場の誘導係でした。「問診を受けて、次は注射になります」などと、ワクチン接種する人を案内するわけです。

 バイトを週4日こなしながら、空いた日にハローワークに通いました。朝から昼まで仕事の検索をかけて、職員の方にも相談させてもらいました。

 僕は聖心ウルスラ学園高校から社会人クラブチームの倉敷オーシャンズ(現在は企業登録)でプレーし、巨人に入団しています。これまで就職活動をした経験は一切ありません。ただ、社会人時代は三菱の工場で働いていたので、「まずは工場で働くのがいいかな?」と考えました。

 さまざまな仕事について精通し、アドバイスを下さるハローワーク職員の方には感銘を受けました。こんな人がいるから社会が回るのだなとわかりましたし、納得のいく仕事を選ぶ大切さを学べました。

 そのなかで僕が働きたいと考えたのが、給湯器を製造する工場でした。

 いざ面接を受けにいくと、面接官が履歴書の「読売巨人軍」という僕の前歴を見て「えっ?」と声を上げました。

「巨人の選手だったんですか?」

「はい、9年ほどいました」

 その後は仕事の話そっちのけで、巨人の話題が続きました。すんなりと面接をクリアし、「あぁ、プロ野球選手ってすごい職業だったんだな」と実感しました。

 工場は朝8時に始業し、休憩を挟んで17時まで働きます。時には残業をする日もありました。三菱の工場で働いていた時にネジを締める作業は得意にしていたので、「いいね、速いね」と褒めてもらえました。

 普通の人より体が大きかったこともあり、年下の職場仲間から「何かやってたんですか?」と聞かれました。野球をやっていたと答えると、草野球に誘われました。

 初めて草野球をやった時、みんなから「めっちゃすごくない?」と驚かれました。「一応、プロでやってたんだ」と伝えると、その噂は職場で広まっていきました。

 でも、すべての人が野球を好きなわけではありません。僕は経歴ではなく、自分の仕事ぶりで周りに認めてもらいたいと考えていました。

 プロ野球選手の頃から見て学ぶ術、やって学ぶ術が身についていたので、仕事も早く覚えられました。工場は7つほどのラインに分かれているのですが、先輩の仕事を見ながら「これとこれは一緒だな」などと覚えて、どのラインに入っても仕事ができるようになりました。

 そのうち、「休みが出たから田原さんはこのラインに入って」「人が足りないからこっち入って」と重宝してもらえるようになりました。工場長からは「あんたに休まれると困る」と言われました。巨人でも工場でも、僕は変わらず「便利屋」として自分の居場所を見つけられたのです。

 本当にいい職場でした。僕よりひと回り以上も年上の方が、「昨日の日本シリーズのあの場面、どうやった?」などと野球の話題を振ってくださいました。僕が自分なりの考えを話すと、「やっぱり見る視点が違うねぇ」と褒めてくれました。

 こんな日常会話をしているうちに、僕はどんどん野球がしたくなってきました。いつしか、野球への嫌悪感があとかたもなく消えていたのです。

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