いきなりスピリチュアルな話でギョッとしないでいただきたいが、「言霊の力」はあると思いませんか? いえ、急いでいるので……って、いやいや怪しい者ではございません。あなたプロ野球お好きですよね? もしかしたらロッテ、そうそうマリーンズのファンじゃございませんか? それだったら歴代であなたが一番好きなスローガンを思い浮かべてみてください。私の個人的には今年のスローガンは、歴代でベスト3に入るくらい秀逸だと思っているんですが、どうでしょう。
というわけで読者の皆様、お初にお目にかかります。スポーツ報知で競馬担当記者をしております、坂本達洋と申します。ご縁があって文春野球コラムに参加させていただくことになりました。今の仕事は競馬場や競走馬のトレーニングセンター(通称トレセン、茨城県美浦村と滋賀県栗東市の2カ所)で競走馬とその関係者を取材して、毎週末の競馬の予想に頭を悩ませ続けている日々を送っています。そんな私に声がかかったのは、小学生の頃からかれこれ30年近くロッテファンだということからだそうで、仕事の分野としては畑違いですが、どうかお付き合いくださいませ。
というわけで冒頭の話に戻るのですが、吉井理人監督が掲げた今年のスローガン「今日をチャンスに変える。」は、我が意を得たりという思いが湧いてきます。グラウンドでプレーする選手はもちろんのこと、世間の勤め人から学生さんまで、本当に様々な人たちが自分に当てはめやすい言葉じゃないでしょうか。
果ては私みたいな競馬記者の端くれも、最終レースの前に小銭をかき集めて、この言葉に力強く背中を押されて懲りずに“ワンチャン”を狙ったりできるわけです。吉井監督の「ファンの皆さまも含め、いろいろな方々がどのような捉え方をして、意味を見いだしてくれるかを楽しみにしています」という込めた思いを知ると、なおさら胸に響くものがありますね。私も「外れても次のレースこそ……」と、失敗を恐れずに予想するために有効活用させてもらっております。
ロッテ担当を離れても頭に残っていた「ニシノ」の名前
そんな私ですが、実はプロ野球の取材をした経験もあります。横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)や東北楽天ゴールデンイーグルス、アマチュア野球などの担当に加えて、実は「和」がスローガンだった年のロッテを1年間だけ担当していました。
とは言っても伝説の下克上日本一の2010年ではなく、急転直下の最下位に沈んだ「和 2011」を掲げた2011年です。当時のことを思いおこせば3月に東日本大震災が発生して、球場やその周辺に被害の爪痕が大きく、文字通りにチームは「和」で一つにまとまって戦っていたと感じていました。しかしやはり物事には“賞味期限”があるのか、「和」の2年目はシーズンが終盤に近づくにつれて失速して暗い雰囲気に。当時の西村徳文監督の心中は、察してあまりあるものがありました。
しかしそんなシーズン中、当時は無名だったある選手の名前を知ることになります。あれは太陽のまぶしさとチョコレートの甘い香りが強烈になってくるロッテ浦和球場で、季節は夏頃だったかと思います。補強のネタがないかと取材して回っている時、当時の球団幹部の口から出たのが西野勇士投手の名前でした。
「へぇ~、そうなんですかぁ」と滴る汗を拭きながらペンを走らせつつ、2008年の育成ドラフト5位入団の選手とあって正直に言えばピンとはきませんでした。それでも「あれはいいピッチャーだよ。三振が取れるし、きっとそのうち出てくる選手」と、意外なくらいはっきりと断言されてあっけにとられました。だいたいこういう取材は、相手の歯切れが良くないのが相場と決まっていると思っていましたからね。
結局はその年の支配下登録選手への昇格は見送られましたが、その年限りで担当記者を離れた私の頭には「ニシノ」の名前がずっと残っていました。そのため2012年のシーズンオフに支配下登録選手契約を結んだと知った時、取材相手の慧眼(けいがん)もさることながら、すでに入団3年目で芽が出始めていたのだと妙に納得したものでした。
その後の活躍と苦労は、皆さんがご存じの通りです。2013年は先発ローテに食い込み、9勝6敗と一躍ブレイク。その翌年からリリーフに回っても、抑えとしてセーブを重ねる姿は大したものだなと見ていました。右肘の故障でトミー・ジョン手術を受けて、2年間の登板なしから昨年に復活できたのは、これまたよかったなあ、とつくづく思ったものでした。そして今年は先発に再転向。期待せずにはいられませんでしたね。
そして今季初登板だった4月4日の日本ハム戦は、5回4失点でゲームをつくって今季初勝利。吉井新監督のシーズン初勝利のゲームでもあり、ファンとしてはいろいろうれしい白星でした。初回に3点を失い、打線の援護で逆転して、リリーフ陣にも助けられたとあって、西野投手の「本当にみんなに助けられた勝利」というのは本音だったでしょう。でもやっぱり、この西野投手を“生かした”吉井監督の手綱さばき……、いや采配がお見事だったと思います。