プロのキャリアをスタートさせた地で鈴木大地が節目の記録にたどり着いた。7月2日のロッテ戦(ZOZO)で7回の守備から一塁の守備に就き、史上204人目となる1500試合出場を達成。イニング終了時に記念のボードを掲げると、左翼席の自軍ファンのみならず、ロッテファンで埋まった右翼席からも大きな拍手が注がれた。

 四方に頭を下げ「拍手をもらえたかもわからないくらい緊張していましたけど、こう、ありきたりの言葉になるけど、いろんな方に感謝してます」と喜びをかみ締めた。

 8―1と大量リードで迎えた9回には先頭打者として打席へ。横山陸人の2球目の直球を捉えて右中間に運ぶ二塁打。ベースカバーに入った井上晴哉からも祝福の言葉を掛けられた。

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「同級生の井上も『おめでとう』って言ってくれましたし、打てたってこともそうだし、チームのみんながいい試合をして、スタメンじゃなかったですけど、出場するチャンスを与えてくれる展開にしてくれましたし、本当にいい一日になりました」

鈴木大地 ©時事通信社

「正直、体がダメだなと思うこともありました」

 ここまで試合に出続けられてきた理由の中には類いまれなる「耐力」があるからだろう。あえて「耐える」という字を使うが、現役では中島宏之(139=巨人)、青木宣親(119=ヤクルト)に次ぐ117死球を受けてもなお、プレーできている。その“鉄人”の原点は何だったのか――。

「よく周りからは『体が強い』と言ってもらうんですけどね。両親や家族には感謝しないといけない。この世界で僕みたいな能力でここまでやってこられたのは、もしかしたら体のそういうの(頑丈さ)があったのかとは思います。でも正直、体がダメだなと思うこともありました」

 2011年のドラフト3位でロッテに入団。今季で12年目を迎え、全試合出場は7度。タフネスぶりを語る上で切っても切り離せない思い出がある。プロ2年目だった2013年8月7日のソフトバンク戦(ヤフオクD)での出来事だ。この日は「8番・遊撃」でスタメン出場していた。当時の伊東勤監督に重宝され、レギュラーとして出始めた時期だったが、試練の時を迎える。6回に対峙(たいじ)した森福允彦の抜けたシュートが左腕を直撃した。

「あれ以上の痛みは(その後)ないです。ダイレクトにガーンって当たってパンパンに腫れました。本当に痛かった。結局、しっかりプレー出来るまでには1か月くらいかかりました」

 当然、翌日も腫れは引くことなく、骨に異常はなかったものの、筋肉の痛みが完全になくなるまでにはかなりの時間を要した。直感で「これは無理だな」と次戦の欠場も考えていた。その時に尻をたたいてもらったのが当時1軍内野守備走塁コーチだった佐藤兼伊知氏とフィジカルコーチ大迫幸一氏だった。

 翌日の試合前に2人からは「絶対に行くぞ。ここでチャンスを逃すな。動けるなら行くぞ」と背中を押された。開幕から全試合出場中だった23歳はこの励ましに奮い立った。

「投げる方の腕ではなかったですけど、ボールを捕るのも痛かった。でも、当時の伊東監督やコーチの方々にもプッシュしていただいて出続けることができた」

 結局、このシーズンは最後まで完走した。「今12年目ですけど、アレを乗り越えられたことはすごく財産になっている。こうやって振り返った時に一番最初に出るエピソードでもある」と当時の記憶を思い起こした。