自分をアイデンティファイするものがファイターズであると痛感した出来事
しかし、私とファイターズとの蜜月は長く続かなかった。南海がダイエーに、阪急がオリックスに身売りしたからだ。西宮スタジアムは最寄り駅から1時間少しだが、グリーンスタジアム神戸は約2時間かかる。往復2時間の差は大きく、無料でチケットが手に入らなくなったこともあり、観戦の機会は激減した。
さらに西崎投手の人気が爆発し、女性向けの野球雑誌まで発刊された。買って読んで驚いた。野球への言及があまりにも少ないのである。いぶし銀の野球ファン(?)を以て任じていた私は違和感を覚え、テニスの松岡修造選手へと心を移した。もちろん、西崎投手に罪はない。
ただ、この時期にファイターズファンだったことは大きい。当時のファイターズには、白井一幸選手がいた。バファローズには吉井理人投手がいた。東京ドームができた時、叔母が観戦に連れていってくれることになり、栗山英樹選手ファンだったいとこたっての願いで、ジャイアンツvsスワローズを観に行った。対戦相手に吉村禎章選手がいたことは、改めて触れるまでもない。当然、私はファイターズを応援したかったのだが。
大学時代はラグビー中心だったが、(こちらも父が好きで小学校時代から連れていかれていた)、大学院時代、父の教え子である原田英彦氏が平安高校(現・龍谷大平安高校)の監督に就任してからは、高校野球中心となり、平安の甲子園の試合はほぼ全て生観戦している。もちろん、2003年夏の甲子園、左の平安・服部大輔、右の東北・ダルビッシュ有との投手戦も。9回合計で30奪三振、10回まで両エース無失点。延長11回、平安はサヨナラで敗れたが、あの日のアルプスの空気は絶対に忘れられない。両チームを、両エースを勝たせてあげたいという野球への愛とリスペクトが球場を包み、大げさではなく、9回ぐらいからアルプスの全員が泣いていた。今なお、生で観戦した野球のベストである。
同じ年、新庄剛志選手がファイターズへの入団を決め、翌年には、ダルビッシュ投手もファイターズに入るが、プロ野球界に激震が走った。オリックスと近鉄の合併が決まり、1リーグ制まで取り沙汰されるようになったのだ。反対の署名活動に参加するため、大阪ドームにファイターズの試合を見に行った時、私は自分の血に脈々と流れるものを感じた。最も多感な時期にパ・リーグの野球を見て育ったこと、足繁く球場に通ったこと、何より生まれて初めて入ったファンクラブが、ファイターズのファンクラブであること。つまり、自分をアイデンティファイするものが、ファイターズであると痛感したのである。私は友人間でも必死で署名を集め、パ・リーグを守ろうとした。
そんな私にとって本年のWBCが心躍らせ、自らに誇りを持つものだったことは言うまでもない。元ファイターズの選手、コーチが大活躍しただけではなく、監督コーチの現役時代をほぼ全員、生で観戦しているのだから。
さて、長いトンネルを抜け出たファイターズは連勝! 4番の万波選手がチームプレイに徹底して打つべきときに打ち、新加入のハンソン選手、郡司選手と、新戦力ともうまくかみ合いだした。昨日は敗れたが、清宮選手のライト中段へ飛び込むホームランは、完璧だった。
新庄選手がファイターズ3年目で優勝を、日本一を成し遂げたことを、ファイターズファンなら誰もが知っている。
さあ、ここからだ! Go! Go! Go! ファイターズ!
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