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達川の人となりを勝手に感じて泣いている2023年の私

 8回裏のカープの攻撃は、ピッチャー石毛に対して三者凡退に終わる。実況がとんでもないことを言っている。1992年のシーズン、巨人は一時最下位まで落ちたが、そこからネックレスのお陰で14勝1敗で這い上がってきたらしい。藤田監督が主要選手につけさせた、あの水晶のネックレスだ。

 藤田監督が自身の体調が良くなったということで、原や駒田、石毛につけさせ話題になった水晶ネックレス。少し調べてみると、巨人の選手が身につけていたのは「ファイルド社」製のもの。一見眉唾もののような話だが、このファイルド社、なんと、あのファイテンの前身の会社だということが分かった。VHS1本で、意外なことが紐解かれていく。

 私と実況アナが水晶に想いを馳せていると、ベンチの達川が動いた。守護神・大野豊を迎えにブルペンに走ったのだ。仲良くブルペンカーに乗って登場する2人。さすがに市民球場には引退のアナウンスがあったようで、沸き上がる達川コールに右手を上げて応えている。3番モスビーをショートフライ。水晶ネックレスをつけた4番原はショートゴロ。5番駒田はセカンドゴロ。クリーンナップを三者凡退に押さえ、抱き合って喜ぶ達川と大野。客席からは紙テープが投げ込まれている。引退を知らなかったはずのファンは、なぜ紙テープを持っていたのだろうか。

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 そして始まる引退セレモニー。達川は、ファンには「消化ゲームなのにたくさん集まってくれてありがとうございます!」とだけ言い、後は全て読売巨人軍と篠塚選手会長をいじって終わるという、達川節を炸裂させた短いスピーチを披露。そして、前田が、江藤が、野村が、ベースを投げる前の選手時代のブラウンが、達川を何度も胴上げ。それを最後まで笑顔で見守っている巨人ナインの姿に、達川の人となりを勝手に感じて泣いている2023年の私。笑顔でグラウンドを一周する達川の様子をたっぷり映していた中継は、思い出したかのように横浜スタジアムに切り替わった。だが、無情にも、過去の私はそこで録画を止めてしまっていた。代打の屋鋪は打ったのだろうか。

 結局私は、一度も生で達川の試合を見ることができなかった。およそ30年後、とあるトークショーで、達川に「大昔から好きです!」と気持ちをぶつけてみたところ、「ここに来てるもんはみんなそうじゃろう」とあっさりと言われ、さらに好きになってしまったのだった。

 ところで、我が家からはさらなるエモいアイテムが見つかっている。「カープヒーローインタビュー」と書かれたカセットテープだ。ラジオ観戦中に、ヒーローインタビューをちまちまと録音して編集した1本。一体何年分くらいのカープの勝利が詰まっているのかは、業者からデータが上がってきてからのお楽しみである。

©ウエハラアズサ

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