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もしあのまま日本シリーズ出場していたら…

 現役時代、東北楽天で初代主将、選手会長としてチームの先頭にも立った。引退後も2軍外野守備走塁コーチ、1軍打撃コーチを歴任。将来の監督も期待できるところまで来た。

 それが21年オフに突如退団。石井一久監督就任1年目、3位に終わった後。

「優勝できなかった引責退団か」と見られもした。当時、私は彼と久々に対面。すかさず聞いた。

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「何でなのよ?」

「いろいろやりたいことがあって。指導者の道を突き進むのは、今じゃなくてもいいのかなと。だから、自分からコーチを辞めたいって言ったんですよ」

 えっ、自発的なドロップアウトですと? それでいいんか?

 彼には選手時代の無念を指導者として晴らしてほしい。そう勝手に夢見てきたのに。私も含め、古くからのファンはそうでしょうと。

 09年、野村克也監督は初のクライマックスシリーズ出場に導き球団の礎を築いた。鉄平さんは首位打者にまで上り詰めた。打棒でチームを引っ張った。

 CS直前、野村監督は球団と関係がこじれ「契約延長無し」を告げられ、やぶれかぶれになった。

「日本シリーズに出て契約延長を勝ち取ってやる」

 その勝負の秋。鉄平さんはこれでもかと打ちまくった。恩返しのつもりだったかは、謎。

 CS進出を決めた10月3日の西武戦。先制弾を含む3ラン2発は伝説級だ。続く日本ハムとのCS第2ステージ第1戦。鉄平さんは9回表に2ランで4点差に突き放した。誰もが勝ったと思った。しかし直後、スレッジに逆転満塁サヨナラ被弾。球史に残る大逆転劇だ。

 野村楽天はまさかのCS敗退。

 もしあのまま日本シリーズ出場していたら……。鉄平さんはレジェンドになっただろう。

 でも現実は残酷。彼は翌年以降、下降線をたどる。

思えば、鉄平さんは震災が起きた時の主将だ

 11年の東日本大震災後、嶋基宏選手会長が「見せましょう、野球の底力を」と言った。2年後。奮闘実って日本一。被災地の希望になった。その時、鉄平さんはベンチにいなかった。選手会長なのに。優勝旅行から帰国直後、トレードで退団。

 あれから10年。なぜ、YouTuber?

 収録の帰りに鉄平さんが不意につぶやいた。

「時の流れで選手も、ファンも、球団スタッフも入れ替わっていく。だからこそ、残っている自分たちが語り継ぐ役割をしていかなくちゃいけないんですよ。今は面白い話ばっかりだけど、徐々にいろんな出来事を伝えていかなくちゃ……」

 球団は来年で誕生20周年。

 でも、引退後も仙台に住み続けて「ご意見番」的稼業だけで生き残っている人は、ほぼいない。かなり無理ゲーだ。そこで私は気づいた。鉄平さんのチャレンジに。

 覚悟して在野の人となり「語り部」になるつもりなのだ。だから番組でいじられたって、構わないのだ。

 思えば、鉄平さんは震災が起きた時の主将だ。「底力」を見せられず、無力感に満ちていたあの年の。3月11日が近づいたら、聞いてみよう。思い出したい記憶じゃなくても、嫌がらずに話してくれるんだろうな。

 鉄平さん、いつも人柄に甘えて、ごめん。

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