罵られるとわかっていた復帰マウンド
この件で3人の同僚が無期失格処分という重い裁定を下され、球界を去ることになります。今も「許せない」と負の感情を持つファンがいるのも当然でしょう。
安易に誘いに乗ったのは京ちゃんの大きな落ち度です。すべてを人のせいにできるわけもなく、京ちゃんも罪の意識にさいなまれていました。僕は「知ってることは全部球団に話したほうがいいよ」と伝えました。最初から野球賭博と知っていれば、乗る人間では決してない。僕はそう信じていたからです。
その後、京ちゃんと仲のよかった僕も「ヒアリング」という形で何度か取り調べを受けました。自分が関与していないことは僕自身が一番わかっていたので、たとえ疑われようと「何回でも調べてください」と携帯電話も提出しました。
京ちゃんは謝罪会見を開きましたが、僕は直視できませんでした。NPBから1年間の失格処分を受け、京ちゃんは巨人から契約解除されました。
京ちゃんをはじめ、中継ぎ投手の頭数が減った2016年。僕は自己最多の64試合に登板しています。
京ちゃんは人知れず、復帰のためにトレーニングを続けていました。立場上、一緒に練習することはできません。でも、友達として話を聞くことはできました。目標の見えない日々は、京ちゃんの顔色を暗くしていきました。
「誰からも望まれていないのに、罵られるとわかってるのに、なんで俺はつらいトレーニングを続けてるんだろう……」
自分が蒔いた種ということは十二分に自覚しています。それでも、運よく復帰できたとしてもスタンドからブーイングを浴びることは明らか。「何のために練習しているのか?」と、京ちゃんは無気力になっていました。
僕は京ちゃんに言いました。
「許してくれない人もいるだろうけど、応援してくれる人も絶対にいるから。いいボールを投げてるんやから、抑える確率だって高いやん」
1年後、失格処分が明けた京ちゃんは巨人と育成選手契約を結びます。京ちゃんは「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」とチームメートに謝罪しました。僕が知る限り、京ちゃんを冷ややかに見る仲間はいませんでした。普段から人一倍ストイックに取り組み、愛されキャラとして盛り上げてくれた京ちゃんを見てきたからでしょう。
スタンドから浴びせられるヤジは痛烈でした。あまりにもひどく、僕なら「うるせぇな」と言い返したくなるような言葉をぶつけられても、京ちゃんはこう言っていました。
「自分がやったことは変わらないから、受け止めるしかない」
京ちゃんの真摯さと、メンタルの強靭さを感じずにはいられませんでした。
復帰して3年目の2019年5月2日、京ちゃんは1307日ぶりに勝利投手になります。これまでの長い道のりを思えば、涙を流すくらいうれしい勝利だったはず。そう思って祝福した僕に、京ちゃんは思いがけない言葉を返してきました。
「1年も2年も野球してないんだから、当然よね」
日数が空いたから当然だ、とでも言いたいようでした。まあ、たしかにそうなんだけど……。そんなウェットさとは無縁の反応もまた、京ちゃんらしいのかもしれません。思えば、連続登板機会無敗記録を伸ばして「負けない男」と称された時も、京ちゃんはこんなことを言っていました。
「結局、勝ってる場面で投げてないだけだから」
つかめそうで、つかめない。つかめないと思ったら、つかんでる。それが高木京介という人間の魅力なのです。京ちゃんと毎日一緒にいても、飽きたと思ったことは一度もありません。
「高木京介を応援していいのか?」と惑い続ける方々へ
京ちゃんのことを応援していいのか、今も複雑な思いを抱えているファンの方もいると思います。無理に「応援してくれ」とは言いません。でも、彼が必死に投げる姿から少しでも感じ取れるものがあれば、背中を押してやってほしいんです。
今年は1軍でわずか1試合の登板に留まっていますが、京ちゃんほどの投手もなかなかいません。四死球で崩れることはなく、集中打を浴びることもない。緊急登板を告げられても文句も言わずにマウンドに上がり、ショートイニングもロングリリーフもこなす。真摯な取り組みで若手の見本になり、いろんな人から愛される。だからこそ信頼され、34歳になった今もユニホームを着続けられるのでしょう。
プロ球界を離れた今、僕は京ちゃんと一切連絡を取っていません。最後に会ったのは巨人から戦力外通告を受け、ロッカーを整理して帰る時。
「またね、バイバ~イ」
まるで、また明日も会うかのようなテンションで別れを告げました。
人見知りの僕にとって、友達の条件は「無言の時間を耐えられる人」でした。「何か話しかけなきゃ」と気を遣ってしまうと、こちらも疲れてしまいます。でも、京ちゃんは一切気を遣うことなく、無言の時間を過ごせる心地よい人でした。
京ちゃんと離れたこの3年間は「無言の時間」だったのかもしれません。でも、仮に今すぐ京ちゃんと会えたとしても、「おう、京ちゃん」と、あの時と変わらずに話せる自信があります。そんな人のことを、「親友」と呼ぶのかもしれませんね。
僕は今、沖データコンピュータ教育学院の野球部でコーチを務めさせてもらっています。指導者として勉強を重ね、いつかはプロのユニホームを着たい。その時は監督に「ここは京ちゃんでいきましょう!」と進言する。そんなシーンを思い浮かべています。
高木京介を酷使する。それが、僕のひそかな夢なのです。
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