聖地のライトスタンドは「極楽浄土」だった
阪神がリーグ優勝を決めた9月14日、私は甲子園球場のライトスタンドにいた。選手たちが飛び跳ねて喜びを爆発させている。岡田監督が宙に舞っている。そんな光景を遠くから眺めながら、ワーだのオーだの叫びながら拳を握りしめたり、腕を振り上げたりしていた。岡田監督のユーモラスなインタビューはビジョンを振り返って聞いた。
そのとき、「ああ、このまま死んじゃってもいいな」と思った。秋風が爽やかに吹く聖地のライトスタンド。何万人という人たちが、最高の笑顔や嬉し涙を浮かべながら幸せを共有している。なんの信仰心もない私だが、「ここが極楽浄土です」と言われれば、疑うこともなく信じたであろう。それくらい浮世離れした穏やかな空間だった。
優勝監督インタビューとしてビジョンに大映しにされた岡田監督は、口調も表情もいつもどおりだった。選手たちに言い続けたとおり、自身も「普通にやったらええ」を貫き通したのだろうか。しかし最後は11連勝という「普通」ではない強さでゴールを駆け抜けた。
「力を出し切れ」でもなければ、「思いっきりやってこい」でもない。なんだか脱力感さえ漂う「普通にやれ」。しかし、不思議とチームの集中力を向上させる言葉になった。
その真意をスポーツ紙の岡田語録に倣って括弧書きで補足すると、「(お前の力はわかっている。成功・失敗の確率だって織り込み済みだ。特別なことは求めていない。だから)普通にやれ」だ。
近本、中野、森下、大山、佐藤、ノイジー、坂本、木浪。こと野手のスタメンについては、最後はソラで暗唱できるほど固定された。野手の一、二軍入れ替えも極めて少なかった。岡田監督にとって、シーズンを戦う「戦力選考の締め切り」は春先までだった。
今季戦力として生き残った選手には役割が与えられ、結果についてもある程度長い目で見てもらえる。降格の不安に押しつぶされることはない。だから、保身だけが目当てで自分のプレースタイルを変えたりする必要もない。自分自身の「普通」に集中できる。
しかし「戦力の固定化」によってチームの不安感を除けるのが「陽」であるなら、「陰」もある。今年の戦力に食い込めなかった野手は、1年間「冷や飯喰い」となる上、一軍試合出場という成長機会を失うため実力差はなお開く。先日、山本、髙山、板山、北條といった野手たちが戦力外通告となったが、一定の年齢にさしかかる選手たちにとって「春で締め切り」は厳しい現実だ。