「イップス」からの復活と現役引退を決めた理由
7月頃、おぼろげながら一筋の光が見えた。いざ立ち投げで直球を投げると、通常ではあり得ない大暴投してしまうが、ツーシームならストライクが入るようになったのだ。
その後のシート打撃で、当時2軍調整中だったカリステにツーシームを「ボコボコに打たれた」が、手応えのある球にめぐりあえた。「カリステが最後1軍で打てるようになったのは、あのシートのおかげ(笑)」と今では冗談を飛ばしながら振り返ることができる。ツーシームが安定するとスライダー、チェンジアップも精度は上がり、胸を張ってマウンドに戻った。
しかし、プロ野球の世界はどんな時だって弱肉強食の競争社会。8月、9月と調子は上がったが、同じように1軍を目指す投手は他にもたくさんいる。「正直ちゃんと投げられるようになるのが遅かった」。投げた試合でそれなりの結果は出たものの5年目の契約は勝ち取れなかった。
ツーシームで生きる道を見つけ、最後までアピールした。9月末、ウエスタンの試合は残り2カードとなった。大阪遠征を告げられた時は「これが最後かもしれない」と悟った。同26日のオリックス戦、6点ビハインドの8回2死から登板し、大城滉二を投ゴロに仕留めた。そして、松田の現役最後の登板は28日の同カード。3番手で登板して1回無失点に抑えた。花道は飾った。
「最後はツーシームでしっかり抑えることができた。だから、もう辞めようと。それが現役引退を決めた理由です。本当にきつかったのは今年の4月から7月。結果出なかったらクビだってわかっていましたから。この1年間……きつかったですね」
「いい同級生、同期にも恵まれました」
どれほどストレスが溜まっていたかわからない。でも後輩の森博人、近藤廉、竹内龍臣らと居酒屋でストレスも発散した。同期入団の橋本侑樹、郡司裕也らは遠慮なく自分と接してくれた。橋本の結婚式で、両隣に座った同級生の小笠原慎之介、勝野昌慶に酒を飲むよう煽られて早々に潰れてしまったこともあったが、「いい同級生、同期にも恵まれました」。かけがえのない仲間もできた。
乗り越えられない壁はあるかもしれない。でも、そこを乗り越えようと挑み続けることは、泥臭くて、美しい。人間味あふれる松田だから、周囲も尊敬の眼差しで見る。
「お陰様で、戦力外の報道が出てから、たくさんの人に声をかけてもらいました」。名大出身のプロ野球選手で、地元のドラゴンズに所属していた。もうその2点だけで既にブランディングは完璧だ。そこに松田の優しくて穏やかで面倒見のいい性格が加わるのだから、おそらく再就職に困ることはないだろう。
「これからも変わらずドラゴンズを応援したい」
自分の力でもがき苦しんで残した足跡こそが、未来を創っていく。松田亘哲は球界を去る。誰にも描けない、唯一無二のロードマップを持って新たな人生を歩み始める。
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