「増田さんのようになりたい」
本格的に中継ぎへ転向したのは今年からだというが、豆田には理想とするリリーバーの姿があった。
「抑えとして、増田(達至)さんのように、ずっと9回を任されるピッチャーになりたいと思っています」
増田のように長年9回を任されるクローザーになりたいーー。しかし前述したように、今年の増田はシーズン最後まで調子を取り戻せず、失点するケースも多かった。それでも尊敬する思いは変わらない。
「打たれることは誰にでもあるので結果がどうとかではなく、マウンドでの仕草や立ち振る舞いを見ています。野球以外でも(投手の)チーム最年長として、何も言わないですけど行動で示して引っ張っていく。そういう大きな背中を見ていて『こういう人になりたいな』って思うようになりました」
打たれて悔しいはずの降板後、ベンチに戻ってからも視線をそらさず、最後まで試合を見届け、敗戦後の取材にも立ち止まって丁寧に答える。日々の練習では、ウォーミングアップからキャッチボールに移る際、毎回必ず走ってセンターへ向かう。自らを律し、常に野球と真摯に向き合う増田を見るうちに、自然とその背中から学びたいと思うようになっていった。
そんな増田が長年守り続けてきた9回のマウンドに、シーズン最終戦で立った。どんな心境だったのか。
「(9月30日以降)投げていなかったクリスキーがいる中で最終戦の抑えを自分に任せてもらえた。『試してみよう』って思ってもらえたことがすごく嬉しかったですね」
終盤の緊迫した場面での登板が必然的に多くなるリリーフ投手にとって、気持ちを動揺させないメンタルの強さを持つことは大切だ。豆田は持ち前のネガティブ思考によって、動揺を抑えて自分の投球スタイルを崩さない。とてもクローザー向きだと思えた。
しかしそんな豆田でも、9回のマウンドでは、いつもと違う感覚を覚えたという。
「自分自身がやりたいと思っていた場所だったので、余計(プレッシャーが)あったのかもしれないです」
相手はクライマックスシリーズ進出へ向け、1試合も落とせない戦いの最中にいた。一軍経験3ヶ月程度の若獅子が、勝利への執念を燃やす相手からのプレッシャーを、マウンド上で真正面から受けたのだ。動揺しない方がどうかしている。その結果、先頭の佐藤都志也をフォアボールで歩かせ、続く和田康士朗にはカーブが抜けて、デッドボールを与えてしまった。
「相手からしたら『支配下になったばかりの1年目投手がきてラッキーだ』くらいに思われていたと思います。結構勢いよく来ていましたし、すごく振ってきていました。意地でも追いつこうと集中力が全然切れないですし、こちらも(集中力を)切ることができない場面でした」
一発が出れば一気に同点。そんな状況で相手に飲まれないように集中力を保ちながら、打者ひとりひとりを打ち取っていく。クローザーと呼ばれる投手たちの凄みを改めて認識しながらも、与えられた仕事に集中した。
その結果、サード佐藤龍世の超ファインプレーなど、バックにも助けられながら、豆田はシーズン最終戦の最後を締めくくることができた。
「いつもは『自分のやることをやるだけです』って自分は言うんですけど、抑えだった今回は『少し緊張しちゃって、最初焦っちゃいました』って、豊田(清)コーチに話をしました。そうしたら『そうなってくれてよかった』って言われたんです。今回のような厳しい場面を今までちゃんと経験できていなかったんだなって思いました」
自らも上ることを望んでいた9回のマウンドは、チームの責任を背負う場所だった。実際にそこに立ってみて、その重さをひしひしと感じた。
この経験が大きな財産になる。豊田コーチを始めとする首脳陣が、最終戦で抑えを任せた親心を、豆田はしっかりと受け取った。
挑戦し続けた先に……
憧れる増田の背中は今、どのように見えているのか。
「まだ変わらず遠く、大きく感じますかね。ただ、セーブをあげただけなので近づいたかなとは思わなかったです」
増田が11年間で積み上げてきた194セーブと106ホールドは、ただの数字ではない。任された場所で責任を果たし続けた数が、見える形として刻まれているのだ。
「豊田コーチからも言われていますが、『この人が抑えをやるなら任せられる。この人が打たれたらしょうがない』と信頼されるようにならないといけない。どうしたらいいかはまだわからないですし、そのためには練習での振る舞いも含めてだったり、増田さんに比べたらまだまだだと思います」
目指す背中は遠い存在だ。それでも歩み続けなければ、永遠にその背中に追いつくことはできない。そして、追いかけるものがいるからこそ、先を歩くものも立ち止まることはできないのだ。
責任に向き合い続け、前に向かって歩き続けた結果、いつか豆田が増田の定位置を任され、クローザーを務める日がくるかもしれない。それは一つの歴史の終焉であると同時に、追いかけるものが挑み続けなければ、見えてこない新しい未来だ。
ここまで書いて、自分が“文春西武”の最後を任された意味を考えた。
それは文章を書くということに真摯に向き合うこと、与えられた責任をしっかり果たすこと、そしてそれをやってみなさいよという、監督からのエールだったのではないか。今いるところから、もっと上を目指しなさいよと。
憧れだったこの場所で戦う事ができたこの1年、自分が果たしてどれだけ変わったのかはわからない。ただ、挑戦し続けたからこそ、この場所をいただく事ができたと思っている。
愚直なまでに真っ直ぐに、己の武器で勝負し続けた豆田は、支配下登録から一軍の勝ちパターン投手にまで駆け上がった。自分はどこまでいけるのかわからないが、ここでの挑戦を糧にして、これからも歩き続けていきたい。
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