当時の広島の“日常”

庭田 「今まで私は8月6日8時15分以降の世界ばかりを見ていたけど、ほんの数秒前までは普通の日常があったんだ……」ということを想像できて。それまでは“被爆後の怖い世界”に自分を重ね合わせていたけど、はじめて“当時の広島の日常”の中に自分を置くことができたんです。

 映画館があったり、カフェがあったり、川遊びしている子どもたちがいたり。今と変わらない日常が営まれていたところに原爆が落とされて、一瞬にして当たり前が奪われたんだということを自分事として初めて想像できたという印象・経験ですね。

 
旅館「割烹吉川」の裏庭で撮影された写真。背後には日本赤十字社広島支部、広島商工会議所が映る 写真提供:吉川正俊氏 カラー化:庭田杏珠

――それから数年後、「記憶の解凍」プロジェクトを始められるわけですが、戦争体験者の方の写真をカラー化するというアイデアはどのように生まれたんですか?

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庭田 通っていた学校で、後に『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』を一緒につくることになる渡邉英徳先生のワークショップがあったんです。そこで、白黒写真をAIの力でカラー化する技術があることを教えてもらったんですよね。

渡邉英徳氏がカラー化を担当したマーシャル諸島の日本兵たち

 そこで、「あ、こういう技術があるんだ」「これはすごいな」と感じました。白黒写真にちょっと色がつくだけで、当時を生きる人たちの話し声が聞こえてくるといいますか、体温が伝わってくるような印象を覚えたんです。

――カラー化の技術を身につけられたとしても、元となる写真がなければ、そもそもカラー化作業にすら進めないように思いますが、そのあたりはどのようにして?

庭田 高校に進学した頃から平和活動を行う委員会に入って、平和記念公園で核兵器禁止条約に関する署名活動をしていたんです。そこで、濵井德三さんという方に出会ったのが直接的なきっかけでしたね。