7年前の今日この瞬間を私はどうやって過ごしていたんだろう。
2024年CSファイナル第6戦、後ろに座った男性が「す、すげえ、野球おもしれえ」とヘラヘラ笑ったすぐあとに「ちょっとこの緊張耐えられない」と席を立ち上がり階段の方へと消えていく。ベイスターズもジャイアンツも、どちらか一瞬でも気を抜いた方が深い谷底に落ちていくような、イカゲームみたいな試合をしていた。
私と小5の次男はハマスタパブリックビューイングの3塁側に座って、おばあちゃんが握ってくれたおむすびを黙って食べていた。東京ドーム現地観戦だった第2戦と第3戦、どちらも私がトイレで席を外している隙にオースティンがホームランを打った。この日もオースティンの打席が来るなり「ちょっと行ってくる」と行きたいわけでもないトイレに向かう。
「やれることは全部やっておきたいから」とかっこつける母、「……がんばって」と頷く次男。ノドはカラカラ、体には排出する水分はほとんど残ってない。計量前のボクサーはきっとこんな気持ちなのだろう。あちこちで「ちょっと行ってくる」と強張った表情で席を立つファンを見た。
あの日のハマスタは、ベイスターズファンたちが長年の辛酸の末にたどりついたオリジナルの謎願掛けで渋滞していた。今すぐにでも試合終了にワープしたいという気持ちと、ちゃんと見なきゃいけないという気持ちがせめぎ合う。静まり返ったトイレの中で、私はスタンドから歓声が湧き上がるのをただ待つしかなかった。
「ママ、そろそろみかん氷食べたい」
「今日この試合は今日しか見れないんだよ!」
「今日PVに行くよ」と言う母に「え……僕はいいよ」と次男は渋った。私は焦った。なぜならCSファーストのPV、ファイナル初戦のPV、そして金曜日の東京ドーム、全て次男を連れていって勝っているからである。勝利のルーティーンをここで途切らすわけにはいかない。今ここにいるのは子どもの主体性を重んじる母ではない、一縷の望みにすがらなければもはや立ってもいられないか弱きベイスターズファンである。
「なんで行かないの?」「いや、なんでっていうか……月曜だし、あした学校だし」
ここにきて正論をのたまうのか、おまえは。
「じゃあ聞くけど、家にいて何するの? 動画見て、ゲーム? そんなものはね、いつだって見られるんだよ、やれんの。でもね、今日この試合は今日しか見れないんだよ!」
ここにきて正論と見せかけた暴論をのたまう母。
でも本当にそうなんだよ、わかってほしい。いつか、それが何年後かわからないけど、そんな日がくるかもわからないけど「あの日ハマスタでCSファイナルの最終戦を見た」という記憶があなたの支えになるかもしれないしならないかもしれない。あとやっぱり、お母さん一人は不安です。
「じゃあみかん氷買ってくれる?」「ハマスタ寒いかもよ、でもいいよ」「わかった、じゃあ行く」
5回表。みかん氷を求め崎陽軒に向かって歩いていると「あ、ライジングだ!」と急に次男は目を輝かせた。ノーアウトから梶原がヒットで出て、続くバッターは森敬斗。モニターからライジングのテーマが流れていた。次男が「熱く! 熱く! 熱く! 立ち上がれ!」と歌いながら冷たいみかん氷を受け取った時、この日一番の歓声がスタンドからコンコースに流れ込んできた。
慌てて階段に戻ると、スクリーンの向こうでは森があっという間に3塁にいた。7年前の日本シリーズを知らない若い選手が小さな望みをつないだ。「やっぱライジングかっこいいな、一番好き」と満足そうに次男はみかん氷を食べている。ライジングがどういう経緯で生まれたかなんて、この子にとってはたぶんどうでもいいことだ。