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第4作『新 男はつらいよ』(1970年)
第36作『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』(1985年)

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私を含めてキャストの皆さんは笑いを堪えるのに必死でした

 渥美清さんが“寅さん”を演じる以前に、私はテレビドラマ『泣いてたまるか』(1966〜68年)で共演させて頂いていました。一話完結で毎回、渥美さんが演じる役が変わる形式で、その第12話「子はかすがい」でご一緒したのです。脚本が山田洋次監督だったと思います。その頃の私は俳優座養成所を卒業し、大河ドラマ『三姉妹』(67年)に出演するまでの数カ月、単発ドラマにゲストヒロインとして出演し、経験を積ませてもらっていた時期です。若い私の目には、渥美さんは“人情の人”として映ったのを忘れられません。

 ですから、その後、『新 男はつらいよ』の出演依頼の際は躊躇(ためら)うことなくお引き受けしました。ただ、私がマドンナを演じることを、当時のマスコミの方々には意外に思われた方も多かったようです。時代劇『風林火山』(69年)の由布姫、『3人家族』(68〜69年)の敬子、『霧の旗』(69年)の桐子などドラマで主演していた私のイメージと、まだ国民的映画になる以前の、エネルギッシュな寅次郎が躍動していた第4作とに、ギャップを感じられたのでしょうね。けれど、私の中では“役者・渥美清”との仕事は、漠然とでしたが、とても大切なことだと感じていましたから、何の不思議もなくて。そうして参加した現場はとにかく笑いに溢れていて素敵な日々を過ごせました。

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栗原小巻(くりはらこまき)東京都出身。68年、舞台「三人姉妹」で注目を浴び、舞台を中心に活躍。出演作に映画『忍ぶ川』『八甲田山』、舞台「アンナ・カレーニナ」など。

 この作品は渥美さんの独壇場です。競馬で大穴を的中させた寅さんが、おいちゃん(森川信)とおばちゃん(三崎千恵子)をハワイ旅行に連れて行こうとするのですが、金を持ち逃げされてしまう。メンツがあるからと、真っ暗にした茶の間に潜んでいると、泥棒(財津一郎)が入ってくる。「おい、110番ってのは何番だっけ?」……という喜劇展開。カメラが回っている時に、私を含めてキャストの皆さんは笑いを堪えるのに必死でした。私は幼稚園の先生である春子役。土手での子どもたちとのお遊戯も素敵な場面でしたね。私の衣装は春の装いでしたけど、実は真冬の撮影なんですよ。私も出演した『八甲田山』(77年)とまでは申しませんが、楽な作品、楽な撮影は一本もございませんね。