総資産2億円超の長期投資家も、最初から勝てたわけではない。バイト代50万円で始めた株が、ITバブルの追い風で一時830万円に急増。「株は簡単に儲かる」と油断した先に待っていたのは、資産を半減させる“怖すぎる落とし穴”だった。
名古屋の長期投資家さんの新刊『2億稼げる なごちょう式 低リスク超分散株投資』(高橋書店)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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きっかけは「こち亀」と「任天堂株」
名古屋の下町の文房具店の息子として生まれた私が資産運用について考えるようになったのは、小学校5年生になったときでした。
大好きな『こちら葛飾区亀有公園前派出所』というギャグマンガを読んでいたら、「主人公の警察官・両津勘吉が1億円をもらう」という話がありました。すぐに浪費してしまう両津に上司の大原巡査部長は貯蓄をすすめ、お金を運用するように迫ります。当時の私は、マル優も個人向け国債も預貯金の利子から税金が取られることも知らなかったのですが、子どもながらに「知識があればこんなに儲かるんだ! 大人になったら賢く運用するぞ!」とマンガに書き込むほど強く思ったのを覚えています。
「任天堂株」を保有し続けたAさんの資産は⋯
もう1つのきっかけは「任天堂株」です。文房具店というと「鉛筆やノート、封筒、印鑑などを売る店」をイメージする人が多いと思いますが、トランプや花札、将棋、囲碁なども取り扱っています(最近はあまり売れませんが)。
任天堂は花札や文房具を作っており、うちもアジオカという任天堂の卸売会社と取引がありました。今は世界的な大企業の任天堂ですが、コピラスのヒットが出るまでは、任天堂もアジオカも業績が悪いときも多かったそうです。
ある年、現金がなかったアジオカはボーナスを任天堂の株で現物支給しました。当時のアジオカの社員の大半はすぐに株を売り、多くの人もコピラスやゲームウォッチ (1980年)、アーケード版のドンキーコング(81年)のヒットで任天堂の株価が上がるたびに、売ってしまいました。しかし、うちの店を担当していたAさんは売らずにずっと保有を続けていました。
資産額なんと⋯
そして、83年にファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されます。発売価格1万4800円と子どもの玩具としては決して安い金額ではないのに、全世界で6000万台以上を売上げ、空前の大ヒットとなりました。任天堂の売上や利益も爆発的に伸び、それに伴い株価も爆発的に上昇します。80年代の後半には、Aさんの持つ任天堂株は数億円になり、アジオカ社内でも有名人になっていたそうです。
Aさんは1989年にアジオカを退職しました。「Aさんがいよいよ任天堂株を売却し、故郷に帰って悠々自適の生活をする」という話を父と母から聞いて、当時中学2年の私は「任天堂のような株を持てば、定年まで働かなくても簡単に数億円の資産が作れる! 大人になったら、絶対に株式投資をやろう!」と思い、それが株式投資を始める強い動機になりました(大人になって実際に投資を始めたら、そんなに簡単ではないことを知るのですが……)。




