中原中也の詩にある「ゆあーん ゆよーん」という不思議な言葉。かつては「くだらない」と思った表現が、病床で大きな発見につながる――。『痛いところから見えるもの』が版を重ねる難病当事者の頭木弘樹さんが、文学の真価に迫る。

(本稿は、前掲書から一部抜粋したものです)

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「なにがすごいのか、さっぱりわからない」

 中原中也の生前に刊行された唯一の詩集『山羊の歌』に「サーカス」という詩がある。

 次はその一節だ(『中原中也詩集』大岡昇平編 岩波文庫)。

 サーカス小屋は高い梁

   そこに一つのブランコだ

 見えるともないブランコだ

 頭倒さに手を垂れて

  汚れ木綿の屋蓋のもと

 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 最初にこの詩を知ったのは、学校の国語の教科書でだったか。ともかく病気になる前だ。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という表現がすごいと教師から習ったように思う。

 なにがすごいのか、さっぱりわからなかった。ブランコなら、普通は「ぶらーん、ぶらーん」と表現するところを、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」というのは、たしかに変わってはいるが、だからなんだというのだ。くだらない、と思った。これですごい詩なら、詩全体がくだらないのではないかと思ったほどだ。

 ところが、病気になったあとに、病院のベッドでたまたま、またこの詩を読んだ。そして、今度はすっかり感心してしまった。なるほど、すごい。なんてすごいんだと、中原中也の他の詩もみんな読んでみようという気になった。

言葉でいい表すのは難しい「身体の痛み」

 なぜかというと、たとえばこんな出来事があったからだ。

 病院の6人部屋で、あるおじいさんが、「先生が「ここがズキズキするんですね」と言うから、つい「そうです」って言ってしまうんだけど、本当はズキズキという感じとはちがうんだよね」と言い出した。

「そりゃあ、ちゃんと言ったほうがいいよ、診断に関わるかもしれないから」と他の5人は言って、「本当はどういう痛みなの?」とそのおじいさんに聞いた。

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 ところが、おじいさん自身もうまく言えないのだ。「しくしくとか?」「ずーんとか?」「きりきりとか?」などと他の5人がいろいろに候補をあげてみるが、どれもちがうという。従来の表現にはおさまらないようだ。