発売以来、各紙で高い評価を得ている文学紹介者・頭木弘樹さんの『痛いところから見えるもの』。当事者にしかわからない痛みをめぐる身体感覚や心性を、文学的なまなざしで浮き彫りにした、心揺さぶる一冊だ。“出せない”痛みってなんだろう?

(※本稿は、前掲書から一部抜粋したものです)

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頭木弘樹氏 撮影・杉山拓也(文藝春秋)

血便が1日に20回以上の日々、ある看護師さんが言った

 私が今現在、日々の生活の中で感じている痛みの中心にあるのは、「腸閉塞」の痛みだ。

 腸閉塞とは、簡単に言ってしまうと、文字通り、腸が詰まってしまうことだ。「人間は食べて、ヒって、寝ればいいのです」と深沢七郎は言ったが(『人間滅亡的人生案内』河出書房新社)、それだってじつは簡単なことではない。「ヒって」ができなくなると、大変なことになる。

 私が20歳でなった難病、潰瘍性大腸炎は、いわば「出すぎる」病気だった。下痢をし、血便が1日に20回以上も出たりする。貧血になるし、栄養も流れ出てしまう。タンパク質の点滴というのもした(すごくねっとりしていた)。26キロ、一気に体重も減って、あばら骨の浮き出た自分の身体が病院の夜のトイレで鏡に映ったとき、自分とはわからなくて、幽霊かとぎょっとしたほどだ。

 だから、当然、下痢を止めたいと思う。止まってくれたらなあと、ずっと願っていた。

 そんな私に、ある看護師さんが言った。

「出るのはまだいいのよ。出ないと大変なんだから」

 便秘のことかと思い、まったく納得できなかった。貧乏で困っている人間に、お金があるのも大変なのよと言うようなもので、それはそうかもしれないが、貧乏のほうがましと思えるわけがない。

 でも、看護師さんはつづけて言った。便秘ではなく、腸閉塞だと。

「今、別の病室にそういう患者さんがいて、すごく苦しそうよ。便が口から出たりするんだから」

 これにはさすがに驚いた。たしかに、それは大変で、苦しそうだと思った。しかしそれでも、寒くて震えているときには夏の暑さの苦しみを思い出すのが難しいように、今まさに血の下痢をしている人間には、出なくなる苦しみを想像することは難しく、やっぱり下痢が止まってほしいとしか思えなかった。

パパイヤがきっかけで「癒着性腸閉塞」を発症

 ところが、手術をしてから15年後、突然、私自身が腸閉塞を経験することになった。開腹手術をすると、空気にふれた内臓が、お腹の中で癒着してしまう。そのせいで、腸がねじれたりして、詰まりやすくなる。これを「癒着性腸閉塞」という(腸閉塞には他の原因によるものもある)。

©AFLO

 そういうことがありうるとは、医師から聞いていた。しかし、普通に食べられていたので、自分は大丈夫だと思っていた。すぐになる人もいれば、何年もたってからなる人もいるとも聞いていたが、まさか15年後になるとは思わなかった。直接のきっかけは、沖縄の宮古島に移住して、食べ慣れないパパイヤをたくさん食べたせいだ。宮古島に移住したことは、それでも後悔していないが、パパイヤを食べ過ぎたことは後悔している。