夢を見ない。

 将来の夢ではなく睡眠中の話である。僕はほぼ夢を見ないのだ。寝付きの良い僕は一瞬で寝落ち、目覚めの良い僕は一瞬で起きる。そして寝ている間は無なのである。寝る→起きる、以上。タイムスリップしたかのようなシンプルさ。冒険の旅に出る事もなければ、怪物に追われる事もない。毎日寝てるのだが、覚えている夢は年に1本くらいなのである。

 恐らく僕は眠りが深いのだろう。ぐっすり眠れるのはとてもありがたいが、不満が無い訳でも無い。だって勿体無いではないか、限りある人生の多くの時間を睡眠に捧げているのだ。目覚めた後には何も残っていない。夢を見ていた感覚すらないのである。とはいえ、きっと覚えていないだけで夢は見ている筈だ。

 画家のサルバドール・ダリは創作の際、キャンバスを前に椅子に座り、手にスプーンを握って眠ったそうだ。眠りに入ると手が緩みスプーンを落とす。その音で目覚め、そのまま直前まで見ていた夢と(うつつ)の境界を絵にしたそうだ。成程興味深い。これなら夢を見ている瞬間を捕まえられるかもしれない。真似をしてみた。手にはスプーン。椅子に座り眠りに入る。暫くして自然に目覚める。自然に。床を見るとスプーンがコロンと転がっていた。僕は眠りが深いのだ。こうして、ダリ計画は夢と散ったのだった。ああ、よく寝た。

 何故夢を見ないのか、考えてみた。果たして夢と現は明確に区切られているのだろうか? 覚醒と睡眠は地続きで、分かち難くなだらかに繋がっているのかもしれない。僕の意識は緩りと時間を遡る。

 幼少期。親曰く、生きる時間の大半をぼぉ〜っと過ごしていたらしい。凸凹の無い平地でただコロンと転んで額を切り2針縫ったにもかかわらずその間完全に無反応だったらしい僕は、半分眠っていたのではないか? 幼少期に限らず、少年期、青年期でさえ現実感の無い事は多々あった。自分の前をただ風景だけが通り過ぎていく、他人事のように。同級生と話している時も、テストの前日の一夜漬けの時も、生徒会室にペンキで大きく落書きをしたのがバレて先生にこっぴどく怒られている時でさえ、何処か自分に起きている出来事とは思えない瞬間が多々あった。あの頃も現実を夢が僅かに侵食していたのかもしれない。今でもそうだ。家を出た直後忘れ物を思い出し慌てて戻るが何を取りに戻ったのかを忘れてしまったり、昨日食べた昼食を思い出せなかったり、スマホを操作しながらスマホが無いと焦ったり。きっと夢と現の境界が曖昧になっているのだ。決して物忘れが酷い訳ではない。きっと、多分……。まぁ、そんな感じで生きている。

夢の中で生きる主人公

 更に意識は飛躍。今生きているこの瞬間、これが夢の中だったら? 自分が夢の中の登場人物だったら? この妄想の肝心なところは、誰がこの夢を見ているかという事だ。夢の主は恐らく僕自身だろう。だがもし、夢の主が別の誰かだったらどうか? なんだか怖くなってくる。夢の主は一体誰なのだ? 僕との関係は? 家族や友人? それならまぁ良い。僕を夢の主人公にする事もあるかもしれない。だって僕の事を知っているのだから。しかしだ、もし……言葉にするのも怖いが、もし、この夢を、僕が主人公のこの夢を、全くの他人が見ていたとしたら……。何故、彼(彼女)は僕の夢を見ているのだろう? 何か目的があるのだろうか? 目的があるなら教えて欲しい。僕もその目的に向かって最善の努力はしてみるつもりだ。だが、もしかすると、彼も見ず知らずの僕が登場しているこの夢に戸惑っているかもしれない。何故知らない他人が出てくるのだと。僕が何かを伝えようとしているのではないかと思うかもしれない。焦らないで欲しい、僕は君に何かを伝える気はないんだ。だって、僕も君に夢見られて戸惑っているのだから。

 あ……更に恐ろしい事に気付いてしまった。もしも、彼が目覚めてしまったら僕はどうなるのだ? 消えてしまうのか? 僕の人生は唐突に終わるのか? 落ち着こう、僕が動揺すれば、その動揺は彼に伝わってしまう。そしてハッと飛び起きてしまうかもしれない。それはまずい。僕はここで人生を終える訳にはいかないのだ。今は落ち着いて考える事が肝要だ。

 整理してみよう。夢の主である彼は今、僕が主人公の夢を見ている。理由は不明。目的も不明。大事な事は、彼が目覚めたら僕は消滅する可能性があるということだ。もしかすると目覚めても夢の世界は残り、僕は消滅せずに生き続ける可能性もあるかもしれないが、その場合出口は消失し僕の存在は益々不確かになる。つまり、彼を目覚めさせない事が大事だ。どうすればいい? 簡単だ! この夢を楽しい夢にすればいいのだ! 楽しい夢にすれば、彼は目覚めたくない筈! つまり主人公である僕がこの夢の中で楽しく過ごしていれば良いのだ! 今僕が出来る事はこの一点! 楽しく過ごす事だ!!!

 ……何故こんな混沌とした文章を読まされているのか分からなくなっていると思う。僕も何を書いているのか分からなくなっている。「!」を多用してまで書く程の事ではないとも思う。ただ、分かって来た事も。夢を見ないという事を書きながら、いつの間にか他人の夢の中で生きる主人公を演じ始めた僕は、役者である。役者は夢のような世界、フィクションを生きる事を日常としている。だから夢を見る必要がないのだ。と強引な理論で誤魔化そう。

 夜も更けて来た。そろそろ寝よう。久々に夢を見たくなった。今晩は夢を見られますように。あれ? 僕が誰かの夢の中の主人公だとして、僕がこのまま寝たら彼の夢はどうなるんだ? そして、彼の夢の中の主人公である僕が見る夢の中で彼が主人公だったら……なんか面白い。

 お休みなさい、良い夢を。

挿画 オノ・ナツメ

つだけんじろう/声優、俳優。1971年、大阪府生まれ。1995年、アニメ『H2』の野田敦役で声優デビュー。アニメや洋画吹替、ナレーターなどの声優業と舞台やドラマなどの俳優業の両方で活躍中。

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source : 週刊文春 2025年11月13日号