60年代後半、日本に現れた「プリンス」に全国の少女が熱狂した。大人にはわからない、私たちだけの王子様――。人生すら変えた、青春の時間をめぐる。
(しまざききょうこ 1954年、京都市生まれ。ノンフィクション・ライター。著書に『森瑤子の帽子』『安井かずみがいた時代』『この国で女であるということ』『だからここにいる』などがある。)
明日に光を放つ、圧巻のライブだった。
5月28日の東京国際フォーラムホールA。緊急事態宣言が再び延長になろうという時期、5000人の観客が入るコンサートに「家族に懇願されて行けなくなった」と泣いてプラチナチケットを手放す人もいた。だが、開場の16時半には建物を取り囲む長い列ができ、25分押しての開演となった客席は満席だった。「沢田研二 2021 ソロ活動50周年LIVE『BALLADE』」。
青い照明の中、大きな赤い旗が立っていた。客席には興奮を抑えられない観客の思いが充満している。ギターの柴山和彦を従えた沢田がステージに登場すると、小さな小さな「ジュリ〜!」が聞こえた。「30th Anniversary Club Soda」「時の過ぎゆくままに」の2曲を歌い終えた沢田は、「こんな時に駆けつけてくださって本当に嬉しいです」と挨拶。立ち上がりたいのに席に座ったままでいるファンに向かって右膝をつき、手を胸にあてて頭を下げた。
「最後までどうかごゆっくり」
それから彼は、「君をのせて」「追憶」と懐かしい曲もふんだんに交えて一気に14曲を歌った。1年4ヶ月ぶりのステージに、一曲一曲を噛みしめるように歌う。アレンジした「TOKIO」を、内なる熱情を昇華させるように目を閉じ身をよじって歌った。
この日、身に着けていたのは、なす紺のミリタリーテイストの衣裳。衿や袖口や胸やパンツを銅色に光ったビジューと金糸の刺繍で飾り、後ろに長いジャケットの裾がフレアーになった瀟洒で美しいものであった。情熱のシンボルを横に掲げるジュリーはピョートル大帝の如く君臨して、迫力の歌声とエネルギーで5000人を包んでいく。それぞれの曲がそれぞれの人の心に届いていく。アンコール前のラスト曲は、「いくつかの場面」。沢田は自身を抱きしめながら歌った。
いくつかの場面があった/まぶたを閉じれば/いつも何かが歌うことを支え/歌うことが何かを支えた
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source : 週刊文春 2021年7月1日号