(なみえつこ/1950年、奈良県生まれ。13歳で西野バレエ団に入団、16歳で芸能界デビュー。女優・歌手・タレント・コメンテーターとして数々のドラマや映画、バラエティ番組に出演し、幅広いジャンルで活躍を続ける。著書に『死んでたまるか!』『雑穀きれいレシピ』等。)

Ⓒ清水朝子

 小学4年の時、吉永小百合さん主演の映画『愛と死をみつめて』を観て「女優になりたい!」と思ったんです。その夢は16歳で叶いましたが、これが波瀾万丈のドラマの始まりだったかもしれません。夢見た世界ではどんな試練にも耐えられましたが、私生活はまるでジェットコースター。結婚と離婚を繰り返し、女手一つで子育てをし、揚句に“不治の病”で絶望の淵にまで追いやられましたからね。

 ただ、それもこれも今の主人と一緒になるための道草みたいなものです。私は高市首相と同じ“奈良の女”ですから、絶対にめげない底力があるんですよ。

 奈美悦子さんは1950年、奈良県北葛城郡(現香芝市)で生まれた。かつてタカラジェンヌを夢見た母親は奈美さんを出産した直後、女の子とわかるやガッツポーズ。「この子を宝塚に入れる」と早くも自分が果せなかった夢を娘に託した。

 私が母のお腹にいる時に両親が離婚し、祖父母の養女として母の実家で育てられました。祖母は誰よりも先に起き出し、最後に家の灯を落とす。家事一切をパーフェクトにこなすだけでなく、冠婚葬祭をも仕切るスーパーウーマンで、その祖母の生きざまが私の原点です。裏山で採った蕗の土を落として皮を剥き、甘辛く煮た祖母の伽羅蕗が大好きで。これを超える味にはいまだ出会ったことがありません。祖父は、「片親がいないこと」を言い訳にさせまいと躾けに厳しく、そりゃあ恐かった。小学校に入る前のことですが、友だちとの喧嘩を咎められて、井戸に吊るされたこともありましたからね。

 祖父母一家は地元の資産家で、敷地は300坪くらいはあったと思います。私には、身の回りの世話をやき、幼稚園の送迎もするお手伝いさん2人がついていました。“お嬢さん”の母は「一人娘を宝塚の男役に」と息巻き、足が曲がるからと私には正座をさせず、よその家でも「うちの子は」と断って足を伸ばさせるほど。日本舞踊やピアノを習い、大阪の公立中学校に越境入学するや、全国に展開する「西野バレエ団」の大阪教室にも入って、宝塚に向けて習い事三昧でした。

16歳で芸能界デビュー。西野バレエ団の寮はとにかく厳しかった

 西野バレエ団には全国合せて500人ほど所属していましたが、その中から毎年1人だけデビューさせるバレエ団内のオーディションがあったんです。私は歌を習ったこともなければバレエを始めたのも遅くて出来が悪かったのですが、西野皓三先生が「あの子、オーディションに残しといて」って。周りは反対したそうですが。西野先生との出会いがなければ、私の人生は全く違ったものになっていたと思います。

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source : 週刊文春 2025年12月18日号