(さじはるお/1935年、東京都生まれ。理学博士(理論物理学)。ゆらぎ理論研究の第一人者。鈴鹿短期大学学長などを歴任。北海道美瑛町の美宙天文台名誉台長。大阪音楽大学客員教授。日本文藝家協会所属。『詩人のための宇宙授業』、『音楽は、宇宙の響き(共著)』など著書多数。)

私が生まれた日のことからお話ししましょう。1935年のその日は、金星と火星と水星が一まとまりになって見える、特別な天体現象の日だったそうです。山梨の科学館へ講演に行った時に教えていただきました。プラネタリウムでその日の星空を投影してくださって、感無量でしたね。
翌年、私が1歳の時、二・二六事件が起きました。青年将校に襲撃された政府要人の私邸が近所にあって、機関銃の音を聞いたお手伝いの女性が幼い私を抱っこして押し入れに隠れたと伝え聞いています。そういう時代の生まれだということですね。でもより重要なのは、その彼女がいつも『シューベルトの子守歌』を歌い聞かせてくれていたという話。つまり私は、1歳の頃からクラシックの洗礼を受けていたのです。
佐治晴夫さんは、量子論に基づく宇宙創生理論「ゆらぎ」研究の第一人者。と同時に、NASAの宇宙探査機ボイジャーにバッハの『プレリュード』を搭載することや、地球外知的文明との交信には数学と音楽を使うという提案をしたことなどでも知られる物理学者だ。
生まれは東京・杉並区。太平洋戦争勃発時には6歳だったと振り返る。
父は日本銀行の役職についていて、かなり広い庭と、当時流行っていた鎧戸つきの洋間がある和風平屋が私の生家です。門扉は唐草模様の装飾を施した鉄製、その横には車寄せ、ツバキやヒイラギなどの花木が植わった前庭を飛び石をつたって玄関へ。和風の透かし垣根で区切られた庭にはツツジの築山、松や桜の大木がありました。父の書斎やお手伝いさんの部屋を入れて7部屋あって、家を一周できる広い廊下は走り回るのにはよかったのですが、子ども心には2階建ての家が羨ましかったですね。
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source : 週刊文春 2026年9月3日号






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