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神田沙也加 恋人の罵倒音声「もう死ねば。みんな喜ぶんじゃない?」

「週刊文春」編集部

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 その音声に残されていたのは、将来を約束したはずの恋人からのショッキングな言葉だった――。一人のミュージカル女優として大きな飛躍を遂げていた神田沙也加はなぜ、35歳の若さで生涯を閉じることになったのか。

 

▶︎もう1通の“遺書”沙也加が最も信頼していた男性

▶︎聖子「沙也加のために歌いたい」紅白辞退の理由

▶︎沙也加14歳の時は自筆で〈母は一番の“親友”〉

▶︎恩人が明かす「沙也加結婚に聖子の嫌がらせ」

▶︎交際俳優 自宅タワマンを沙也加の死2日後に売却

 残された音声データには、静かに問い詰める女性と、言葉少なに答える男性の声が収められていた。

女性「じゃあ、1カ月で引き払うってこと言ってんの?」

男性「うん」

女性「マイ・フェア(が終わる)までって、あと1カ月しかないのに?」

男性「うん」

女性「そんなことしないでしょ」

男性「1週間で引き払わせて、じゃあ」

女性「でも自分が決めてきたところ、1カ月で引き払わないでしょ」

 男性が契約を決めたマンションを1週間で引き払うと主張するのに対し、女性が「そんなことしないでしょ」と応じている場面だ。ところが、ここで男性の声のトーンがガラリと変わり、怒鳴り声になっていく。

男性「引き払うって! なんで俺のこと信じないの、そうやって! おい!」

 そこからは、男性が女性を罵倒する声が続くのだった――。

 昨年12月18日、35年の短い生涯を閉じた女優・神田沙也加。主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」札幌公演の本番当日に届いた悲報だった。

更なる活躍が期待されていた

「沙也加は宿泊先のホテル高層階から転落し、14階の屋外スペースで倒れていたのを発見されました。その後、死亡が確認された。死因は外傷性ショックでした」(捜査関係者)

 12月21日、沙也加の父・神田正輝(71)、母・松田聖子(59)は、札幌市内の斎場で荼毘に付される一人娘を見送った。遺骨を抱いた神田と共に、位牌を抱き、報道陣の前に現れた聖子。「本当に皆さんお寒い中、有難うございました」と頭を下げたのだった。

火葬を終えた松田聖子と神田正輝

「3日後の24日、日刊スポーツが〈聖子紅白出場へ〉と報じました。実際、聖子は当初、『娘のためにしっかり歌いたい』と前向きだった。ただ、報道を受けた世間の反応は必ずしも歓迎の声が大きいわけではなかった。NHKも『聖子側に任せる』という姿勢で、最終的には、聖子自らの判断で出場辞退を決めたのです」(スポーツ紙記者)

〈聖子の娘として生まれて〉

 国民的スターの母が最後に望んでいた「娘のために歌いたい」。娘もまた、そんな母の背中を追いかけて、芸能界への道を選んだ。

〈母は松田聖子、私は女優14歳〉

 沙也加は「文藝春秋」01年10月号にそう題した手記を寄せている。原稿用紙に自筆で書かれた手記には、母と、母の仕事への憧れが率直に綴られていた。

月刊「文藝春秋」01年10月号に寄稿

〈松田聖子の娘として生まれて、母がコンサートとかをやっているのを見たら、同じ仕事をやってみたいと思わないほうが、正直に言って難しい〉

 さらに聖子が夕食の準備をしたり、時にはオーディションの練習相手を務める場面も描かれている。

〈昔から仲の良い一番の“親友”のように感じる。14歳ぐらいになると、母親のことを「ウザい」と言う人も出てくるけれど、私は全然そう思わない。私ももし母親になったら、子供とこういう関係を築いていきたいと思っている〉

 以降、沙也加の“男性問題”を巡って衝突することはあったものの、11年には紅白で「上を向いて歩こう」をデュエットするなど、歌手として互いを認め合う間柄だった。

「沙也加さんが12年のミュージカル『赤毛のアン』に主演した時、埼玉公演に聖子さんが観に来ていた。楽屋では関係者を中に入れず、二人だけで話し込んでいました。逆に沙也加さんも聖子さんのジャズコンサートを観に行ったりしていた。二人の仲は良さそうでした」(舞台スタッフ)

 しかし、娘がかつて〈親友〉と呼んだ関係は壊れてしまう。契機は、聖子の“男性問題”だった。14年6月、自らの事務所「ファンティック」を飛び出し、新事務所「melody fair」を設立するのだが、

「ファンティックは、東海大学の職員だった兄・蒲池光久氏ら家族が役員の会社で、沙也加も所属していた。そこから、聖子は元マネージャーの男性と一緒に独立する形で新事務所を立ち上げたのです。この元マネージャーは何度も不倫疑惑を報じられた相手。そんな聖子の身勝手な振る舞いに、沙也加も愛想を尽かしました」(前出・スポーツ紙記者)

 3年後の17年4月、9歳年上の俳優・村田充と結婚した時も、沙也加は聖子に一切報告しなかった。聖子から電話がかかってきても、無視し続けたという。

17年暮れ、紅白リハーサルでの聖子

 沙也加の芸能活動における恩人が明かす。

「“嫌がらせ”のように、聖子は『ファンティックの名前を使わないで!』と沙也加側にクレームを入れた。やむなく沙也加は、伯父にあたる光久氏を社長に迎え、新事務所『ローブ』を17年3月に設立しました。さらに、聖子はそれまで使っていた成城のオフィスを明け渡すよう要求してきた。結局、18年5月、ローブは駅を挟んで反対側への転居を余儀なくされます。元のオフィスはその後、聖子側が使い続けました」

 こうして母・聖子とは絶縁状態に陥った沙也加。その反面、この頃から彼女にとって、最も信頼する男性となったのが、事務所社長でもある伯父の光久氏だ。

「光久氏は、沙也加の仕事関係者にも腰低く対応する人。沙也加も親しみを込めて、周囲に『光久がさぁ』と話していた。伯父夫婦の娘とも沙也加はとても親しい間柄でした」(同前)

 小誌12月23日発売号で報じたように、彼女は2通の「遺書」を残していた。そのうちの1通は事務所宛てのもの。光久氏は沙也加の死を受け、ローブのHPで「神田を守れなかったという責任を真摯に受け止めております」と痛切な想いを吐露するのだった。

 さらに――。

 もう1通の遺書が、恋人で、「マイ・フェア・レディ」で共演していた俳優・前山剛久(たかひさ)(30)に宛てたものだ。その前山も12月22日、「真剣なお付き合いをしており、将来を見据えたお話もさせていただいておりました」とするコメントを発表している。

恋人で共演者の前山剛久と(前山のツイッターより)

 実際はどうだったのか。

「19年12月に村田との離婚を発表した沙也加はその後、舞台で共演したジャニーズJr.の秋山大河と交際しました。ただ、21年になって別れたようです。そして、昨年8月から上演されたミュージカル『王家の紋章』で共演を果たしたのが、前山でした」(前出・スポーツ紙記者)

妹が語る前山が育った環境

 大阪出身の前山は芸能活動を夢見て、大学進学を機に上京。志尊淳らが所属する若手俳優集団「D-BOYS」のメンバーで、「刀剣乱舞」などゲームやアニメが原作の作品に出演する“2.5次元俳優”として舞台を中心にキャリアを積んでいた。

「デビュー時の前山のキャッチコピーは『大阪のスーパーリッチボーイ』。番組で、自分の長所は『MONEY』と語ったり、光熱費の存在を知らないことをメンバーに暴露されたりしていました」(芸能記者)

 前山が育った環境について、彼の妹が語る。

「幼い頃、私の父と、兄の母が再婚しました。双方に連れ子が二人ずついて、子どもは私を含めて4人でしたが、兄だけが継母方の祖父の前山姓。祖父の養子になったと、後に聞きました。祖父が家業の後継者と期待していたのでしょう」

 祖父は大阪で寝具の製造会社を興し、前山も監査役に名を連ねている。祖父宅には複数の高級車が並び、長野に広大な別荘を構えるなど裕福だったという。

「継母も兄を溺愛し、ブランド物の服を買い与えるなど甘やかして育てていました。兄は高校生の時、『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』に応募しましたが、家の前で継母が応募用の写真を一生懸命撮影していたのを覚えています。読者投票があり、継母からは『周りの子に投票させなさい』と言われた。雑誌に載った時は『うちの子すごいでしょ』と自慢していました。兄は兄でその頃まで、『ママ〜』と泣きつくことも。自分のことが大好きで中高生時代はずっと鏡の前にいました」(同前)

 そんな前山は上京後、母親らが13年にキャッシュで購入した都心のタワーマンションで暮らしていた。この部屋で昨年夏頃まで同棲していたのが、年下のアイドル・A子だ。

 A子の知人が明かす。

「昨年9月に前山さんが『王家の紋章』の福岡公演から帰ってくると、『好きな人ができたから、別れてほしい』と切り出され、家を出ていくように告げられたそうです。その日から前山さんはA子のLINEをブロックして、引っ越しの手続きや、彼女との連絡は全て自分の母親にやらせていたといいます」

 前山の新たな「好きな人」――それが「王家の紋章」で共演した沙也加だった。二人は福岡公演の千秋楽から間もない10月初旬、交際をスタートさせている。

 前山の友人が語る。

「この頃の前山は交際に前のめりで、沙也加さんからもらったというゴールドの指輪を左手の薬指にはめていた。A子さんと暮らしていたタワマンも出て、渋谷区にある沙也加さんのマンションで半同棲生活を送り始めていました」

 A子と完全に別れたかに見えた前山。沙也加にも、恋人が自分だけを見ているという安心感があったのだろう。そして二人は、11月から東京公演が始まった「マイ・フェア・レディ」でも再び共演を果たす。

「特殊な芸能一家で育った沙也加には、不安定な面がありました。精神安定剤を処方してもらい、持ち歩いていた。常に飲むというより、調子が悪くなったら自分の判断で飲んでいたようです。その分、舞台で自分を支えてくれる共演者に惚れてしまいがち。村田も秋山もそうでしたし、前山もそうです。あの子の交遊関係は“狭く、浅く”で、深く付き合っている友達もほとんどいません。だから、恋人に深く依存してしまうのです」(前出・恩人)

 最近も心療内科に通っていた沙也加。前山が周囲に「浮き沈みが激しい」とこぼすこともあったが、

「それでも『一緒に薬を減らしていこう』と沙也加を支えていた。彼なりに年上の恋人に向き合っていたんです」(前出・前山の友人)

 だが、沙也加と付き合い始めてしばらくすると、前山は再び、自らブロックしたはずのA子に「神田さんと色々あってさ……」などと愚痴めいたLINEを送るようになった。

 15年に出版した自著『Dollygirl』(宝島社)では、〈これだけは許せないってこと〉として〈浮気、ポイ捨て〉を挙げていた沙也加。前山の浮気を疑うと、12月4日付で前山に、実印も押した「誓約書」を書かせている。そこには〈元交際相手との関係を一切絶つことを誓います〉などの約束が記されていた。

「大好きだ」って言うから

 ところがその約1週間後、前山は彼女との誓いを破ってしまう。再びA子に、

〈神田さんと整理つけるのに、バタバタしてた(泣き顔)〉

〈なんとか別れたよ!笑〉

〈今度話聞いてもらっても良い(汗)?〉

 などとLINEを送っていたのだ。

「A子は関わりたくないからと適当に流して返し、実際に会うことはなかったそうです」(前出・A子の知人)

 このLINEを目にした沙也加は激高。人づてに、前山が所属する事務所の社長に「話をしたい」とアプローチを図った。

「前山はマネージャーの聴取に『二人で解決するので大丈夫です』と答えた。沙也加も前山との話し合いで『流石にやり過ぎた』と反省していたそうです」(前出・前山の友人)

 それでも、沙也加と前山の間には大きなズレが見られた。「結婚」に対する温度差だ。それはマンションの契約問題に発展する。

 沙也加の友人が明かす。

「結婚を真剣に考えていた沙也加は新居での同棲を提案しました。それが勝どきの物件です。当初は前山さんも乗り気で、物件の審査も通っていました。ところが、突然『同棲を白紙にしたい』と言い出したのです。沙也加は大きなショックを受けていた。それが12月中旬のことでした」

 しかも、その傍らで“新たな事実”が発覚する。前山は沙也加に無断で、一人で住む別のマンションを契約していたのだ。

「沙也加にしてみれば、誓約書の誓いを破られ、同棲話も白紙に戻された。それでも、前山さんとの将来に僅かな光を見出していました。混乱しながら、どうしたらこの状況を変えられるのか……と。親友にA子とのLINEを転送して相談したり、喧嘩のたびに浴びる前山さんの罵声を録音するようにもなったのです」(同前)

 冒頭の音声データは、ちょうどその頃のものだ。沙也加に内緒で借りた別のマンション。前山は、そこを1週間で引き払うと主張した。その言葉が信用できないと訴える沙也加に、前山はこう怒鳴り声を上げた。

前山「引き払うって! なんで俺のこと信じないの、そうやって! おい!」

 二人のやり取りは、次のように続く。

沙也加「怒鳴らないで」

前山「死ねよ、もう。めんどくせぇな」

沙也加「『死ね』って言わないで」

前山「死ねよ」

沙也加「『死ね』って言わないで」

前山「(遮るように)死ねよ」

沙也加「(やや涙声で)何で言うの?」

前山「死ねよ、マジで」

「死ね」という言葉を4回繰り返す前山。沙也加はハッキリと涙声になって、こう問いかけた。

沙也加「死んだらどうなの?」

前山「ん? 別に」

沙也加「何とも思わないの?」

前山「うん」

沙也加「せいせいする?」

前山「うん。お前しつこいんだもん、だって」

 すすり泣きながら、沙也加はこう言葉を継いだ。

沙也加「『死ね』って言わないで。叩きなよ、じゃあ。『殺すぞ』とかさあ、『死ね』とか言うんだったら。言うこと聞かせればいいじゃん、それで」

前山「そんなことしないよ。殴ったらだって俺、悪くなるじゃん」

沙也加「そんなこと言ったって、『死ね』って言ったって、『殺すぞ』って言ったって、おんなじだよ」

前山「いいじゃん、もう死ねば。みんな喜ぶんじゃない?」

沙也加「私が死んだら?」

前山「うん」

沙也加「なんでそんなこと言えるの? みんなに嫌われてるってこと?」

前山「うん」

 しばらく沈黙が続き、沙也加は声を絞り出す。

沙也加「ねえ? (涙声で)ねえ、そんな酷いこと言わないでお願いだから」

 そして、音声データの最後に収められていたのは、

沙也加「『大好きだ』って、『こんなに合う人いない』って言ったから付いてきたんだよ……」

 将来を見据えたはずの恋人に縋(すが)りつく言葉だった。

彼女が生きた証を忘れないで

 相談を受けていた沙也加の親友が無念さを滲ませる。

「精神的に不安定な沙也加は、口論を重ねるうち、どんどん追い込まれていきました。取り乱す沙也加に前山さんもキツい言葉を浴びせていく。若い前山さんも、どうしていいか分からなくなっていたんだと思います。それでもこの音声に残っていたのは、心の弱い彼女に決してかけてはいけない酷い言葉だった。まして、沙也加は彼を誰より信じていたのだから……」

 このやり取りから程なくして、二人は12月16日、「マイ・フェア・レディ」の札幌公演に向け、北海道に到着した。この日の食事の席では、前山も「沙也加のことを見つめ直す」と思い直してくれたという。

 ただ、沙也加には更なる悲劇が重なった。

「『手術をしなければ、非常にまずい』という喉の検査結果が届いていたのです。ミュージカル女優の彼女にとって、あまりに厳しい宣告でした」(同前)

 動揺を募らす沙也加。そして、日頃から服用していた薬を持ってきていなかったことも、感情の浮き沈みを極大化させていく。

 12月17日、沙也加は前山とマネージャーと夕食を共にする予定だったが、

「私、気分悪いから、二人で行ってきて」

 そう告げて、自らの部屋へ引き上げていった。そして翌18日、沙也加の死亡が確認されたのだった。

 部屋に残された前山宛ての遺書には、以下のような言葉が綴られていた。

《女性にあんまり強い言葉は使っちゃダメだよ。一緒に勝どきに住みたかった。二人で仲良く、子供を産んで育てたかったです。ただ心から愛してるよ》

前山宛ての遺書も残していた(東宝演劇部のツイッターより)

 沙也加を失った前山。2日後の12月20日、登記簿によれば、自宅にしていたタワマンは都内の不動産会社に売却されていた。

 彼の様子を知人が語る。

「札幌から帰京後、周囲が心配するほど精神的に参っていて、目を離すと彼自身どんな行動を取るかわからないため、事務所スタッフが彼の母親を呼び寄せてケアをしてもらっています。2月には舞台への出演が控えていますが、難しいのではないでしょうか」

 前山の事務所に事実関係の確認を求めたところ、期日までに回答はなかった。

 前出の恩人が語る。

「素顔の沙也加は100円ショップが好きだったり、庶民的な面もある子でした。『カップ麺が好きなの』と話す時の沙也加は、どこにでもいる女の子。母の存在の大きさに苦しんだ時期もありましたが、自らの力で『アナと雪の女王』での成功を手にし、ミュージカル女優として大きな飛躍を遂げるところだったんです」

 前出の沙也加の親友も言う。

「なぜ沙也加が、35歳の若さで世を去らなければいけなかったのか。懸命に生きて、傷つきやすい心を持った彼女に起きた真実を知ってほしい。そして、彼女が生きた証を忘れないでいて欲しいと思います」

 最期まで必死で生きようと、幸せを掴もうとした35年の生涯だった。

source : 週刊文春 2022年1月13日号

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