(たけうちとうこ フリーアナウンサー。1965年生まれ、愛媛県出身。神戸女学院大学卒業。91年にNHK入局。2003年の「紅白歌合戦」で総合司会を務めた他「おはよう日本」「スタジオパークからこんにちは」などを担当。23年に退職しフリーに。AERA dot.でコラム「武内陶子の『ロックに生きる』」を連載中。)
以前、占い師の方に「あなたの前世は遊牧民」と言われたことがあります。たしかに私は各地を転々としてきました。家庭の都合もあったけれど、思い返せば自ら変化を求めてきた人生だったのかもしれません。昨年、NHKをやめてフリーに転向したので、遊牧の日々はこれからも続きそうです。
NHKアナウンサーとして活躍した武内陶子さんは1965年、母の実家がある岡山県倉敷市で生まれた。1歳下、7歳下、9歳下にそれぞれ妹がおり4人姉妹の長女として育つ。幼い頃は外科医の父の仕事の都合で、引っ越し続きだった。
記憶にある最初の家は、父の赴任先の小豆島。海岸の目の前にある借家で、ヒノキ造りのお風呂がいい香りだったのをおぼろげながら覚えています。その後、兵庫県相生市の借家を経て、5歳の頃に愛媛県松山市へ。ここも借家の一軒家です。母は、私と妹、そして同居する父方の祖母の世話をしながら、家事もきちんとこなすスーパー主婦。父が当直の日は、夕食を病院まで届けていました。
幼稚園の年長組の頃、高知との県境に近い愛媛県南宇和郡に引っ越しました。ここの借家は台所と洋間、和室が2つ。和室の押入れを二段ベッドのようにして妹と一緒に寝ていました。隣が製材所で、お転婆な私は、おがくずの山にダイブしたりしていたなぁ。
父が愛媛県大洲市で友人と一緒に病院を立ち上げたのは私が小学2年生の時。大洲は“伊予の小京都”と呼ばれる風情溢れる城下町です。ここでも最初は借家住まいでしたが、2年後に一軒家を新築。200坪の敷地に、三角形と四角形を組み合わせたような不思議な形状の鉄筋コンクリート造り。庭の池には父が大好きな錦鯉が泳いでいました。
1階は、LDKと和室、祖母の部屋と両親の寝室。2階の応接間は多趣味な父のための部屋で、シンセサイザーや画材などが置いてあり、私たち姉妹は「アトリエ」と呼んでいました。2つの子供部屋は数段の階段でつながっていて、これまた変わった造り。子供部屋にはリビングにつながる階段があって、直接1階に行けるのが便利でしたね。キッチンと洗面所の間には、家族の服を収納するファミリークローゼットのようなスペースがあり、家事の動線もよく考えられていたと思います。
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source : 週刊文春 2024年10月31日号