1ページ目から読む
4/4ページ目

「反日」にも「愛国」にも飲み込まれなかった声明文

 このような状況でBTSは、「反日」と「愛国」、どちらにも飲み込まれないかたちのレスポンスを出した。それはBTSのドームツアーの初日だった11月13日、東京ドームの舞台でジミンがファンたちに直接伝えた言葉や、その直後BTSの所属事務所Big Hitエンターテイメントが掲載した文章にはっきり表れている。

BTS日本版公式サイトに掲載された声明文

 この文章は一般に想像される安直な「所属事務所の謝罪文」とはまったく違うものだった。文章は、「原爆投下により被害に遭われた方を傷つける意図は一切なく、衣装自体が原爆被害者の方を傷つける目的で製作されたものではないことが確認された」と説明し、それにもかかわらず、「原爆被害者の方を意図せずとも傷つけ得ることになった点はもちろん、原爆のイメージを連想させる当社アーティストの姿によって不快な思いを感じ得た点について心よりお詫び申し上げます」と謝罪している。そして、「戦争および原爆等を支持せず、これに反対」すると同時に、「全ての全体主義、極端な政治的傾向を帯びた全ての団体および組織を支持せず、これに反対」するとまで踏み込んで明言している。

 つまり、極端な政治的傾向や偏見による「反日」のレッテルに対抗すると同時に、原爆被害者や原爆のイメージで傷ついた全ての人びとに謝ることで、Tシャツ問題のすべてを肯定しようとする「愛国」のフレームも拒否しているのだ。

ADVERTISEMENT

「多様性」とは生きる上で考慮しなければならない要素が増えること

 このようなレスポンスは、BTSが「グローバルなポップスター」としての位相を獲得しているという自覚と自信から来るものだろう。つまり、BTSのグローバルな人気が意味するのは、たんなるグローバルな市場を開拓したということではなく、所属事務所の文章を借りれば、「多様性と包容の時代を生きていく中で考慮しなければならない要素が増えた」ことであり、その中で与えられた課題は、極端なナショナリズム政治に埋没しない「さまざまな社会、歴史、文化的な背景に対する理解」であるからだ。

 もちろん今回の騒動が、多くの人を悲しませ、戸惑わせた出来事であったことは間違いないだろう。待ちに待った音楽の舞台は消え、日韓の歴史が生んだ複雑な認識と感情のズレがナショナリズム政治によって単純化されてしまう――そんな日韓の言論構造の現実が再確認されたからだ。

BTSメンバーの顔が印刷されたウチワを持つファン ©Getty Images

 しかしよりマクロに考えれば、この事件は「ポップはいかに世界を変えるのか」を再確認する出来事としても記憶されるだろう。BTSが自ら失敗を認め、さらなる成長を誓ったことで、韓国の若者は「光復」の文脈だけでは捉えきれない「原爆」の意味について関心をもちはじめているし、日本の若者が、韓国をめぐる「さまざまな社会、歴史、文化的な背景」に理解を深めようとしているのも確かだからだ。

 何より指摘しておきたいのは、BTSを「反日」と「愛国」といったナショナリズム政治のフレームで規定すること自体、そもそも不可能だということである。「日韓」だけを文脈にした、極端にネガティブな意味での「K」からも、極端にポジティブな「K」からも、彼らを捉えることはできない。BTSとその献身的なファンダムが目指しているのは、さまざまな成功と失敗を繰り返しながらともに成長していくことであり、「K」を超えた「ポップの瞬間」を共有し続けることだからだ。