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大学時代は全国的には無名の存在だった

「普段は市役所の水道課で働いているんです。上下水道のトラブルがあれば時間に関係なく駆り出されるので、走るのは朝早い時間だとか、深夜になることもありますね。休日に諏訪湖を1周走った直後に電話で呼ばれてそのまま現場へ直行したこともあれば、レースの前日に夜間工事をしていたというケースもありましたね(笑)」

 そう語るのは、長野県の茅野市役所で働く市民ランナーである牛山純一だ。前述の桃澤が語っていた「30代で5000m14分ヒトケタ」の記録を出したランナーが、この牛山である。

牛山純一さん

 33歳だった昨年、5000mで14分9秒の自己記録をマーク。今年も1万mで29分18秒と、実業団顔負けのタイムをマークしている。

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 牛山は県内の公立高校から愛知県の私立大学へと進学した。当時から陸上部所属で専門的に長距離を走ってはいたものの、全国的には無名の存在で、もちろん現在ほどの記録は残していなかった。

「当時はなんとなく『この辺が自分の記録のピークなんだろうな』と勝手に思っていました。まさか市民ランナーになってここまで記録が伸びるなんて考えてもいなかったです。

 当時よりは考え方がいろいろと柔らかくなりましたね。別に朝早く起きて走ってもいいし、仕事が遅くなったなら夕飯を食べた後に走ったっていい。ジョギングなんかはお風呂みたいなものだと考えるようになりました。トレーニングというより、血行を良くするための健康法というか(笑)。いまは週2回キツめの練習をして、残りはジョグです。仕事が忙しくなれば自然と走れなくなってしまうので、休養日は作っていないんです」

 

練習への考え方がガラッと変わった

 牛山の記録が急激に伸び始めたのは、大学卒業後、地元の長野に戻って市民ランナーとして走り始めてからだという。時間も十分あり、しっかりとした指導者がつく高校・大学ではなく、市民ランナーとなってから記録が向上した理由として、牛山は2つの要因を挙げた。

「ひとつは練習への考え方がガラッと変わったことです。やっぱり大学までは集団での練習が多いですし、そこで自分の調子が悪いからとか、意図した練習でないからといって『ちょっと今日は軽めにします』とはなかなか言いにくい。そんな風にトレーニングを『やらされている』感じになったとき、その練習に課題を見出せず自分の感覚を無視して身体を追い込んだ結果、調子が上がらないことがあったんです。

 でも、市民ランナーになってからは自分がやりたい練習を、やりたいようにやることができる。やりたいことをとことん突き詰めることができるので、いい意味で“特化した練習”ができるようになりました」

 自分の目指すトレーニングや、狙った効果のある練習を自身の調子と相談しながら積むことで、効率の良いトレーニングにつながっているのだという。

「例えばひたすらスピード練習をやりまくるとか、そういう極端な練習法ってなかなか強豪チームにいたらやりにくいんです。どうしても苦手をつぶす練習もやらされる。でも、皆それぞれ苦手や嫌いな練習ってありますよね。

 実はそういう本能的な感覚って当たっていて、無理してそういう練習を続けると故障につながりやすいような気がします。もちろん全くやらないわけにはいかないんですけど、やりたくない練習を無理してやり続けることで故障のリスクも上がるし継続した練習ができなくなる。市民ランナーになってそういう部分がなくなったのは大きいですね」