展開が早すぎて先が読めないスリリングなドラマや小説や漫画は、ジェットコースターにたとえられる。
この小説もまさにジェットコースターを体感しながら読み、降りた後も興奮と高揚が続いているけれど。
なぜか少々、その喩えを持ちだすのは躊躇している。
現実には無我夢中であっという間に読み終えたのに、頭の中には現実とは別の時間が流れていて、じっくり物語の深いところに分け入ったり、しみじみ登場人物に己を重ねたり、好きな場面をリフレインさせてうっとりしたりと、ものすごく時間をかけて読み終えたとも感じているからだ。
そのじっくりの時間の中で考えたのが、はたして主人公の斎(いつき)は本当に死神なのか、死神と呼ばれるに相応しい女なのかというところだ。
確かに周りの人が若死に、不慮の死を遂げていくのだが、斎自身が手を下すわけではない。斎は魅力的な女性ではあるが、実は常識人の真面目な良い人だ。
自身を死神と受け入れればひたむきに死の世界や業界と向き合うし、決して遊びだけで男と繋がらない。
斎の母や若い恋人の志田などは自身のおかしさを自覚もしているし、世間も変人と見ているが。
斎の父や腹違いの妹に兄、その母、葬儀社の家族は本人達も真っ当なつもりでいるし、世間もそう見てくれる。だが絶対、彼らこそが元々おかしい。
死神の斎が周りを狂わせているのではなく、狂った人達によってたかって死神扱いされているだけなのだ。
とはいうものの、本来の死神も直接は命を奪わずに追いやっていくだけだから、やっぱり斎も死神か。
そもそも死は不浄でも地獄に直結でもない。斎の葬儀社での仕事を見てもわかるが、死は救いにも浄化にもなり、等しく安らぐ天国にこそ直結している。
あなたもこの小説を読めば、死にはしないけど斎の奔放な純情さと生真面目な魔性に狂うことだけは確実と、停まったジェットコースター上から絶叫しておく。
なかじまたけひろ/1935年生まれ。61年東宝映画『南の風と波』で脚本家に。主な脚本にNHK大河ドラマ『草燃える』『炎立つ』『元禄繚乱』、映画『津軽じょんがら節』等。昼ドラ『真珠夫人』が話題を呼んだ。
いわいしまこ/1964年岡山県生まれ。作家、タレント、AV監督。2000年『ぼっけえ、きょうてえ』で山本周五郎賞を受賞。