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証言者と記録者の無機質な関係を続けたい

 最初の「告白」が終わった翌日、清原さんは電話をかけてきました。

「昨日、ちゃんとしゃべれていましたか? 抗鬱剤のせいか、頭がボーッとして……、ところどころ自分がどうしゃべったか……、覚えていないんです」

 私は「大丈夫でした」と答えましたが、あなたの電話を聞いて思ったのは『本人が、本人たる自覚がないのであれば、私の目の前でアイスコーヒーを流し込んでいたのはいったい誰なんだろう?』ということでした。そう思うと、木曜日がやってくるのがより一層、憂鬱になったんです。

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 この1年、私が考えていたことはたったひとつでした。「記録者」であることです。感情を殺して、目の前にいるあなたの言葉をただ記す。私は「清原氏の感情が表出しない」とたびたび書きましたが、それはあえてそうしている私もまた同じで、証言者と記録者の無機質な関係を願わくば、ずっと続けたいと思っていました。

 昔から清原さんのことをよく知っている球界関係者、報道関係者の方からいくつも連絡をいただきました。

「キヨはどうだ? 大丈夫か?」

 そういう人たちの中には、現役時代から本当に家族のように付き合っていて、薬物について清原さんと口論になった人もいました。それがきっかけで断絶しても、なお、あなたへの情が消えないということでした。私はそうした慕情のようなものに触れるたびに、よりいっそう「記録者」でいようと強く自分に言い聞かせていました。清原和博という人間がはからずも吸い寄せ、引きずってきた多くの情が、逆に球界のスターをダメにしたような気がしたからです。

「ご飯でも行きませんか」に返答できない私

 自分で気づいていたかどうかはわかりませんが、清原さんには数カ月に1度くらい、体調の良さそうな日がありました。そういう時には、私や多くの人のイメージにある「清原和博」に戻って、つまり、多情の人になって、証言者と記録者の一線などあっさりと飛び越えてきました。

 

「いつも、ありがとうございます。今度、ご飯でも行きませんか」

 ただ、そんな時でも、私は具体的な返答はできませんでした。

「ええ……、ありがとうございます。ご都合があえば……」

 それは、近づきすぎて客観性を失うのが嫌だったからですし、この「告白」のためにその距離感が最善だと考えていたからです。ただ、よくよく突きつめてみると、私があなたに立ち入らず、感情を排し、記録者たらんとしたのは、じつは、あの、木曜日がくるたびに襲ってくる得体のしれない憂鬱から自分を守るためだったのかもしれません。