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「ずっと憂鬱でした」清原和博と1年間話し続けた記者の『告白』

2019/01/04
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「帰りに車を降りて、トイレに駆け込んだこともありました」

 初夏に始まった「告白」は、真夏を経て、秋を過ぎても淡々と進んでいきました。季節を問わず、清原さんの前には相変わらずアイスコーヒーが並び、また、あっという間に消えてなくなりました。あれは何回目の取材だったか。述懐の途中で、トイレに立った清原さんが何気なくこう言ったのを覚えているでしょうか。

「僕ね、いつも帰りの車の中で、おしっこちびりそうになるんですよ。アイスコーヒー飲みすぎて」

「……」

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「でも、そうしないと、昔の記憶がなかなか思い出せないから……」

「えっ……?」

 私はその瞬間、何か重大なことを聞いた気がしました。

「アイスコーヒーが、ものすごく好きなのではないんですか……。てっきり、体が欲しているのか、と……」

「いや、そうでもないですよ。そんなにコーヒーは飲まないですし。でも、やっぱり頭がまわらないし、言葉が出てこないんで……。コーヒーを飲むと頭がまわるって言うじゃないですか。そういえば、帰りに車を途中で降りて、トイレに駆け込んだこともありました」

 あなたはそう言って、表情を失ったはずの顔に、笑みなのかどうかわからないような笑みを浮かべていました。

 その後、中断していた述懐はいつも通りに続きましたが、じつは私の頭の中は、その何気ない会話のことでいっぱいだったんです。渋谷駅のホームで山手線を待つ時間が憂鬱でなくなったのは、それからだったような気がします。ハチ公口への階段を上がる足取りが軽くなったのは、やはり、あの会話の後からだったような気がします。

なぜ、あなたは東京や巨人を、憧れながら憎むのでしょうか

 最後の日、清原さんはなかなか席を立とうとせず、白い壁の店の、いつもの部屋で、胸の内をしゃべり続けていました。普段ならとっくに終わっている時刻を過ぎてもあなたは話し続け、私はそれを聞きながら、人の内面の変化に唖然とさせられていました。つまり、あれほど憂鬱だった木曜日が、いつの間にかお互いにとって、終わりたくない時間になっていたのかもしれないと思ったのです。

 

 何という矛盾でしょうか。この1年、私の眼前にあったのは圧倒的な矛盾でした。

 なぜ、あなたは東京や巨人を、憧れながら憎むのでしょうか。

 なぜ、岸和田を、愛しながら忌避するのでしょうか。

 なぜ、桑田真澄という人を、尊敬しながら、妬み、拒絶し、怖れるのでしょうか。

 なぜ、それほど巨大な才能を手にしながら、社会を生きるための術が呆れるほどに少なく、拙いのでしょうか。

 刺青のこと、覚醒剤のこと。言えずにいることがまだまだあるのもわかりました。それなのに、なぜ好きでもないアイスコーヒーをあんなに飲んでまで話そうとしたのでしょうか。そして家族のこと、野球のこと。なぜ、大切なものほど激しく愛し、傷つけることしかできないのでしょうか。

 なぜ、それほどまでの強さと弱さを自分の中に放ったらかしにしておくのでしょうか。

 あらゆる矛盾をおそらく意識することもなく晒しながら、あなたは今も「死にたい」と口にしながら生きている。絶望を口にしながら希望を探している。

 私が見たあなたは正直で、嘘つきでした。悲しいくらいに真っすぐで、恐ろしいくらいに屈折していました。つまり、愛すべきであり、それゆえに救い難い。