覚醒剤取締法違反で清原和博氏が逮捕されてから2年。栄光と転落、挫折と屈辱、薬物依存、そして鬱病との戦いの日々――その半生を綴った『清原和博 告白』は昨年7月の発売から話題を呼び、スポーツノンフィクションの本として異例の累計11万部を記録している。
同書の取材・構成を担当した記者が今だから明かす、清原氏との1年間の「憂鬱」とは――。
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今も編集部に便りが届く。机の上に置かれた封筒たち。7月に出版された『清原和博 告白』に対するものだ。
現役時代からずっとファンであるという人。薬物依存や鬱病の過去があるという人。それに対する対処法を知っているという人。なかには「留置場から」という文もあった。
それらを全て清原氏に送る。そして手紙を書く人の想いの深さや、エネルギーを想像するに、返事を書かなければと思うのだが、どうしても筆を持てない。なぜか。
それはおそらく、ほぼ全ての便りにこういうことが書いてあるからだと思う。
『復帰を待っています』『回復されるのを願っています』
この本の、清原氏の言葉から希望を見出そうとする切実が見える。それが私の目には痛い。 その切実に応えられるものは私の中にはないし、もし応えようとすれば、自分の言葉のクソ胡散臭さに吐き気がするからだ。
月に2度、同じ曜日の、同じ時刻、同じ場所で清原氏に会う。そういう1年間を終えた後、清原氏にこう言われた。
「あのお……、いつも淡々としていましたよね。なんていうか……、僕の前で、そういう風にしている人って今まであまりいませんでした」
私は何と言っていいのかわからず、その場で返答することができなかった。ただ、後からわかったことは、それに対する答えは、手紙の返事を書けない理由と同じだ、ということだ。
私も白状する必要がある。とてつもない光と影を持つ人物が、どん底で吐き出した言葉を記録した者として、清原氏に対しても、手紙をくれる人たちに対しても告白する必要があると思った。
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《記録者の告白》
約束の木曜日がやってくるたび、私は憂鬱でした。
渋谷駅で地下鉄を降りて、ハチ公口への階段を上ります。見知らぬ人の波に何度も肩をぶつけながら、また改札を通って、山手線のホームへと上がっていきます。そこで、むき出しになった鉄骨と工事中のクレーン車がたてる騒音の中、「内回り」の電車を待つのです。この1年、いつも決まった曜日の同じ時刻にあの“白い壁の店”へと向かう足取りは重いものでした。
清原さんは約束の日が近づくと、「前の晩から、ああ、しんどいな。延期してもらおうかなと思っていた」と言っていましたが、じつは私も同じだったんです。なぜ、私までそういう気持ちになったのか。道すがら考えてみても、幾つかのぼんやりとした原因しか思い浮かびませんでした。
例えば、あの店の個室で人生を振り返るとき、清原さんはいつもアイスコーヒーを飲んでいました。最初に2杯。あっという間にそれを飲み干して、また2杯……。あの張りつめた、何か別の生き物が体内にいるかのような苦しそうな表情のまま、異常な速さで褐色の液体を流し込む様を見るのが辛かったんです。ポツ、ポツと話しながら、グラスやストローに添える手が震えているのを見るのが耐え難かったんです。
どんな言葉よりも雄弁に、逃れがたい闇を見せられているようで、その中でもがいている人間のどうしようもなく露わな部分を見せられているようで、気が滅入ったんです。