就任1か月で何人もの部員が「辞める」「辞めたい」
「いま、コーチ時代から数えて9年やっていますけど、もし内情をちゃんと知っていたら来なかったですね(笑)」
山川はそう苦笑しながら、赴任当初を振り返る。
「私は本当にやる気満々だったんですよ。教えていた高校もだいぶ強くなってきていたので、私が『大学で指導したい』と言った時にはみんなもう泣いて、泣いて。でも、『先生がやると決めた以上は私たちも応援したい』と生徒たちに言われてこっちに来たわけです。
それで、最初に寮の食堂で『自分は箱根駅伝にチームとして出場するためにここに来たので、一緒に頑張ろう』という話をしたんですけど、選手の前に当時のスタッフに『いや、そんな無理なことを言わないでくれ』みたいな感じで言われて(笑)。『ええっ!?』って感じですよね。それで私が来てから1か月くらいで何人もの部員から『辞める』『辞めたい』と言われました。本当に頭を抱えてしまって……」
「自分で判断すること」の大切さ
現実はスポ根マンガのように甘くはない。どんなに指導者が熱い思いを持っていたところで、集団の雰囲気を変えるのは一筋縄ではいかない。ましてや近年の箱根駅伝という大舞台は、おいそれと目標に掲げるには、あまりにハードルの高いものだった。
「もちろん学生の中には『箱根に出たい』と思っている選手もいたと思います。でも『俺は箱根に行きたいのに、なんでこういう風にうまくいかないんだ』みたいな想いだけが溜まっていたように感じました。けが人も多かったですし、精神的にまいっちゃっている選手も多かった。まずはケガを直そうよ、復帰しようよ、みたいな話からでした」
山川は、選手たちに「自分で判断すること」の大切さを説き続けてきた。
「彼らによく言っているのは、結局、卒業した後にも良いことも悪いこともあるよということ。いまもケガがあったり、調子のよくない時がある。これは勝負の世界なんだから、絶対にあるんだと。でも、そういう時にそれを乗り越えようと自分で考えて努力したことは、絶対に活きて来るはずなんです。結局、陸上競技ってレースがスタートしたらどんな展開になっても全部、自分で判断していかないといけない。監督に聞くことはできないんです。これって社会に出ても同じで、最後は自分で判断していかないといけません。いま陸上競技に向き合っていることは、自分が人生の決断をする時に絶対にいい経験になる。そういうことは学んでほしいなと」
「他のチームではなかなかいないでしょうね」
その教えは、現在の麗澤大のカラーにも繋がっているのではないかという。
「麗澤大は4年目に大きく伸びる子が多い。例えば、去年はある選手が10000mを29分45秒で走りました。下級生の時には練習もケガばっかりで全然できなかった子で、もともとは5000mでも15分半くらいの子だったんです。こういう選手は、他のチームではなかなかいないでしょうね。ひとりひとりの選手を最後まであきらめたくないので、4年間かけて全員が自分の頭で考えて、成長できるようにと話はしています。だから『このタイムをきれなかったらマネージャーだよ』みたいな話はしていません。
本当にビックリするくらい、最後の最後にガッと伸びる子もいます。その時の顔つきとか、表情はすごく感じるものがあります。そういう姿をチームに見せてくれると『あの選手があんなに走るんだ』とチームにも根付くし、刺激になるんですよ。『あいつもあんなに頑張ったんだから、お前も頑張れ』って言えますしね」