――ヒーロー不在の小説でもある。
真藤 そうですね。ヒーローの不在、というのはある意味で戦後日本を象徴していると思ったんです。言うなれば「英雄」には、戦争中の大義名分として、体制運営のロジックとして使われていたヒロイックな美辞という側面もあるわけで、そういうものが敗戦で無効化されて、スクラップ&ビルドされていく世界の中で、さあどうする、われわれはかつての面影を追いつづけるのか、あらたな英雄を見つけ出すのか、というお話でもあるわけで。
そもそも「誰か(何か)の面影を追う」というモチーフは、青春小説との相性がいいんです。もう絶対に手が届かないもの、離れ離れになってしまった人、果たしきれなかった夢……そういったものは誰にでもあると思うので、共感できる装置としての「英雄不在」ということも考えていました。青春の最盛期から終息期までを描くという構想があったので、作中では全編にわたってオンちゃんの行方が通奏低音になっていきます。
都合のいい形で虚が入ってきてはいけない
――終戦直後ではなく、1952年から始まる、アメリカ統治下の20年間の物語です。
真藤 はい。アメリカの信託統治が始まったサンフランシスコ講和条約から沖縄返還までの20年間を、一人の子供が生まれてからの20年間に重ねています。
――米軍機の墜落事故やコザ暴動など、実際にあった事件も盛り込まれていますが、虚実のバランスをとるのは大変ではなかったですか。
真藤 物語運びに都合のいい形で虚が入ってきてはいけない。実際に起こった出来事と出来事のあいだを熟視して、起こっていてもおかしくないだろうというエピソードを考証を重ねながら書いていかないと、なんでもやりたい放題になってしまうので。又吉世喜とか瀬長亀次郎といった実在の人物もそのまま出していますけれど、実名を出せない場合もありますし。そういう段階での選択は、自分なりに判断しつつ、編集者とも相談しつつ。
生半可な態度では臨めないとわかっていたつもりだったが……
――誰かが語ってきかせてくれているような文体が特徴的です。地の文で、カッコ内で茶化しや合いの手が入ったりと、明るさがありますよね。
真藤 小説の一番の武器は「語り」だと思います。これもあちこちで言っているので、もしかしたら飽き飽きされているかもしれませんが……。読み手としてもずっと僕は、土地から立ち上がるナラティブ、民族の叙事詩といったものにどうしようもなく惹かれてきた。どういう文体で書くかは悩みましたが、この合いの手を入れたり別の面からフォローしたりする「語り」を見つけたことで、物語の風通しがすごくよくなったし、書いている自分も救われました。こうした「語り」を獲得できたのは、沖縄の物語だからこそかもしれないと思っています。
――沖縄の方言を書くのは大変ではなかったですか。
真藤 沖縄にルーツのある方や、コザの現地の人にお願いして、何重かで確認しています。自分の取り組みとしては、沖縄の辞書を通読してそれぞれの用例をおぼえたり、沖縄出身の作家の小説を読んだり。あまりにがっつり島の言葉を盛りすぎると、なじみがない読み手のリーダビリティを損ねることにもなるし、沖縄の言葉はたとえば那覇とコザでもずいぶん違うので、基本的にはウチナーヤマトグチを下地にした混成言語という感じです。
――東京出身の真藤さんが、戦後の沖縄を書くのは勇気が要ることだったのでは。
真藤 やっぱり、生半可な態度では臨めないものだったんですよね。最初から頭では理解していたつもりだったけど、骨身に染みては理解できていなかった。「そんなの分かってたじゃん、覚悟の上でしょう」って担当編集者にも言われたんだけど、背負いきれてなかった。だから途中で、2年間くらい執筆を中断してしまって。このころはキャリア的にも非常に行き詰まっている時期でした。
(後編に続く)
写真=平松市聖/文藝春秋