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「教科書から漏れてしまうものを描きたかった」新直木賞作家・真藤順丈が沖縄を描いた理由

直木賞受賞・真藤順丈インタビュー#1

2019/01/21

――直木賞受賞おめでとうございます。昨日が発表でしたが、昨夜は眠れましたか? 

真藤 寝てないです。記者会見の後にお祝いの会が深夜3時くらいまであって、仕事場に戻ってもクタクタなのに眠れなくて。すみません、昨日と服装は同じですがちゃんとお風呂には入ってきました(笑)。

真藤順丈さん

――発表前の待ち会では相当緊張されていたとか。

真藤 思っていた以上に緊張しました。山田風太郎賞の時は担当編集者のほうが緊張していたので、指差してゲラゲラ笑っていたんです。今回もそうなるかなと思っていたら、僕も緊張してしまって。「これ、駄目だったら『すみません』って言うんでいいのか」と、落選した場合の第一声を考えはじめていたので、電話がきて「受賞です」と聞いた時は、心底ホッとしました。

教科書から漏れてしまうものを物語として描きたかった

――戦後の沖縄を舞台にした『宝島』の構想は7年前に生まれ、執筆には3年かけたそうですね。7年前、琉球警察の話を書こうと調べていたところ、戦果アギヤーの存在を知ってそちらを書きたいと思ったとか。米軍施設から物品を強奪して市井の人々に配っていた戦果アギヤーたちに惹かれたのは、どうしてだったのでしょうか。

真藤 なかなか一言で言えないんですが、「戦果アギヤー」に自分の置かれた状況や閉塞した時代感を突き破ってくれる強靭さを感じたんだと思います。これまで僕が小説で表現したいと思ってきたもの、青春の疾走感とか熱気とか、抑圧への抵抗とか、生きて還ってこそというスタンスとか、戦果をみんなに配ってどんちゃん騒ぎしようぜ、といった底抜けのたくましさとか、そういうものをあまさず体現しているように思えたんです。

 

 正史や教科書からは確実にこぼれ落ちてしまう人々ではあるけど、時にはそういう存在こそがエモーショナルに世の真実を呼びさましてくれる、という思いもあって。そういう人たちの日々の営み、喜びも挫折もひっくるめた「声」をすくいあげるのが、小説の仕事ではないかとも思いますし。

 そうしたものはルポルタージュでも残っていきますが、小説はまた違う一体感や感情移入を呼びおこして、自分たちの物語として体験してもらえる装置になりえる。そのためには時代や土地の垣根を越えられるように普遍性を高めなければいけないし、登場人物の個々の顔が見えるように、精彩に富んだ多面性を書き込んでいかなくちゃいけない。