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「世の中に還元される要素がないと、これからのエンタメは厳しい」新直木賞作家・真藤順丈が描きたいもの

直木賞受賞・真藤順丈インタビュー#2

2019/01/21
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小説家であれば、どの時代のどの土地を書いてもいい

――その時代、その場所にいなかった人が、それでもその時代その場所について、真摯に取り組んで書く意味は大きいですよね。

真藤 戦後の時代、当事者がどんどんいなくなっていくなかで、僕たちの世代が語り継いでいくという意味でも、それはやらなきゃいけないのかなと思います。もともと小説の執筆にかぎらずクリエイティブな表現全般は、自分の外側にあるもの、自分が育ったわけではない時代とか土地とか、他者への想像力とかを鍛えていくことだと思う。だから小説家であれば、どの時代のどの土地の物語を書いてもいいんだと思ってます。

 

 ただそのときには、昨今よく問題になる当事者性や文化的搾取といった事柄にどう向き合うのかということが問われてくるし、批判が出たらその矢面に立つという覚悟も必要になってくる。そしてもちろん、自分がそこにいなかった期間を補ってあまりある勉強やフィールドワークを積み重ねなくちゃならない。対象となる土地に、知識と想像力の両輪で没入していく構えをとらなくちゃならない。

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 少なくとも僕の場合は並々ならぬ努力が必要でしたし、『宝島』を書くのに、今までの小説でいったら3~4冊を書くくらいの熱量が必要でした。こういう小説は、毎回毎回書けるものではない。こういうものばかりを書いていると私生活がめちゃくちゃになってしまう。

 本当に、自分の人生観が変わるぐらいダイブしていかなくちゃ書けないです。僕も『宝島』を書いたことで、書く前とは明らかに変わりましたから。

好きな映画や小説に耽溺していたいという気持ちが強かったが……

――どう変わりましたか? 

真藤 家族に言わせると、「今まで以上にニュース見て文句を言うようになった」って。それまではたとえば、自分の好きな映画や小説に耽溺していたいという気持ちが強かったけど、ここのところはそうも言っていられなくなってきた。社会と接続している一人の人間という意識が強まったというか。

 小説の中にもある種の「運動」を息づかせていきたいんだな俺は、と自覚するようになりました。たとえば政治運動のことだけを言いたいわけではなく、ちょっとした問題提起でもいいし、今までとは違う角度で社会の事象をとらえるのでもいいし。今後はなにか実社会に還元されていく要素を含んでいないと、エンタメでも厳しくなってくるんじゃないかと個人的には思っています。 

 

 とはいえ、沖縄を題材にした『宝島』もエンタメとして重たいばかりの小説ではないので、まずは肩ひじ張らずに読んでほしいです。

 エンターテインメントとしていろんな人に楽しんでもらえるものがたくさん詰まっていて、そこからそれぞれに響くもの残るものがあるといいな、と。「この時代にはこういうことがあったのだよ」と歴史目線で説教するために書いたわけじゃないし、そんなことができる立場でも柄でもないし。イデオロギーの差異で、思いの違う人を入口で蹴ってしまうのは小説の構えとしてはよろしくない。小説のなかで聞こえてくる「声」は、諭すのでも説き伏せるのでもなく語るものでありたい。少なくとも『宝島』はそういう小説を目指しました。どんなかたちであれそうした人々の物語や土地の「声」を奪おうとする動きには、僕も全力で僕のなかの「戦果アギヤー」を発動させたいと思いますけど。