なぜ27歳の中国人が酋長になったのか?
その後、12月末に李満虎さんの酋長戴冠式が開かれた。称号を授けた土侯側の説明では、現地社会から中国企業(の事業)への許可を示すため、また現地責任者である李さんが今後現地社会と折衝することを容易にするため、という理由だったという。
中国国営国際放送CRIの報道では、中地海外集団の国際橋梁建設プロジェクトが多大な経済的恩恵をもたらすこともあって、ナイジェリア政府が中国人の酋長の誕生をCGCOC側に要請したという事情があったという。結果、(おそらく話題性を作るために)若手の李さんに白羽の矢が立った形だ。
なお、中国メディアがCGCOCナイジェリア公司の総経理の発言を伝えたところでは、ナイジェリアにおける同社のビジネスはその前身企業の時代を含めて30年あまりにおよび、500件をこえる大小のプロジェクトを手がけてきた。この総経理は李さんの酋長就任を「現地の人たちが中国企業や中国側人材のパフォーマンスに対して、ハイレベルで承認してくれたことを示す」と自画自賛。確かに話題性の面では抜群だ。
というわけで、ほぼ社命でナイジェリアの辺境の村の酋長にされてしまった李満虎さんには、新たな名前「Ntui Ofa 1」(オファ酋長1世)が与えられることとなった。ただし、これは一種の名誉称号で、酋長の本来の仕事である地元部族のトラブル解決などへの関与は免除されるらしい。今後の李さんは名誉酋長として、中国とナイジェリア両国の友好の架け橋になるべく頑張っていくそうである。
実はこれまでにも結構いた中国人「酋長」
今回は27歳の若者が酋長に就任したので話題になったが、実は過去にも、ナイジェリアにおいて中国人が「酋長」になった事例はいくつもある。特に2010年代になってからこうした動きは活発だ。
人口1.9億人のナイジェリアは、アフリカ諸国のなかでも中国との関係が特に密接な国のひとつで、一説には100万人もの中国人が暮らす。逆にナイジェリア人の側も中国への出稼ぎに積極的で、広東省広州などに最大時で数十万人規模の出稼ぎ者が暮らしていた(彼らの街の様子は拙著『さいはての中国』(小学館新書)に詳しい)。
なかでも最も有名な現地華人のリーダーは、ナイジェリア在住歴が40年近くに達する上海出身の胡介国だ。彼の父親はナイジェリアで綿紡績事業を営んでおり、彼は事業を手伝ってほしいという父の求めを受けて、文化大革命直後の1978年に現地へ渡航。その後、4年間のカナダ留学を経てからナイジェリア社会で着実に人脈を広げ、1997年に同国最大の都市・ラゴス市内にゴールデンゲートホテル(金門大酒店)というホテルを作った。