ただ、卒業の直接的な理由は本当にヘルニアなんです
――17年3月に復帰しましたが、10月にはヘルニアで活動が制限されましたよね。
田中 『汗と涙のシンデレラストーリー』で2回目のセンターに選んでいただいたのに腰をやらかしちゃいました。MV撮影には整体師の方を呼んでいただいて、リハもセンターがいない状態で踊って。メンバーには迷惑をかけてしまったと思ってます。
――17年12月31日の田中さんのブログでは「支えてくれてたスタッフさんや友人も離れてしまい。信頼できるひとがいなくなったり、ハメられたり、誰が味方で誰が敵で。敵なんていないと思ってたからね…人間性を失いかけた事もあったし」と書かれています。
田中 めっちゃ正直に書いてる(笑)。新しいスタッフの方とのすれ違いが多かったですね。7年近く活動していた1期生としては「こういう道を歩んできたから今後もこうしたい」という強い気持ちがあったけど、新しいスタッフさんは違う道を勧めてくるので、それが原因で衝突することもありました。ただ、卒業の直接的な理由は本当にヘルニアなんです。
――18年2月に卒業を発表しましたが、ファンの方からはどんな反応がありましたか?
田中 「もっと早く卒業して独り立ちしてもよかったんじゃない?」という方もいました。優しい方ばかりなんですよ。逆に、もうちょっとアイドルをやっていたかった、という気持ちもあります。ライブで終わりたかったので。
卒業して“アイドルロス”になりました
――アイドルとしての最後はサンリオピューロランドでのソロイベント(18年3月)でしたからね。
田中 他のメンバーは華々しく卒業したのに、私は定期公演で踊ることもできずに卒業するというのは嫌だと思って。いろんな人に相談したらサンリオの方とつながって、お金まわりを含めて自分でイベントをプロデュースしたんです。
――卒業してアイドルロスはありましたか?
田中 ありました~。「もうアイドルじゃないんだ」と空っぽになったというか、2週間くらい抜け殻状態でしたね。卒業前は毎日のようにメンバーと会って何かしら動いていたので、一気に物足りなさを感じたというか。改めて、スパガが私の人生にとって欠かせない場所で、自分の軸になっていたんだなと気づきました。
――そのまま事務所も退所しました。
田中 エイベックスから「残ってほしい」と言っていただいたんですけど、「もっと自由にやれるんじゃないか」と思って飛び出しました。エイベックスのほうが安定しているし、夢に近づけるかもしれないけど、あえて挑戦してみたいと思ったんです。で、いまの事務所にたどり着きました(笑)。