宮藤官九郎と松尾スズキが与えた影響
憧れの大先輩に対し、照れもてらいもなくストレートに尊敬の念を示し、懐に飛び込んでいくさまは、憧れるというか嫉妬さえ覚える。だが、それもけっして一朝一夕にして身に着けたものではないようだ。
小さいころの星野は引っ込み思案で、何事も自信を持てずにいたという。それが中学時代、友人から誘われて舞台に出演したのを機に、演劇の魅力に取りつかれる。高校に入って劇団「大人計画」の舞台『マシーン日記』(松尾スズキ作・演出)を観て衝撃を受けると、同劇団のワークショップに参加、やがてマネジメント契約して俳優となる。まだ未熟な彼に、劇団の先輩で脚本家・演出家の宮藤官九郎は、よくあて書きをして演出をつけてくれたという(※3)。思えば、宮藤も大人計画を主宰する松尾スズキも舞台にとどまらず、テレビや映画に自ら出演するなど、やはり多彩な活動で知られる。このことは星野にも少なからず影響を与えているはずだ。
雑誌の欄外にノーギャラで雑文を書いて特訓していた
ただし、星野は最初から多才ぶりを発揮していたわけではない。文筆業についていえば、相手に何かを伝えるのが下手だったので、22、23歳のころ《文筆を仕事にしたら、もしかして無理やり上手くなれるんじゃないか》と思い、編集者のもとを訪ね回り、雑誌の欄外に100字や200字で雑文を書く仕事をノーギャラで請け負うようになったのが始まりという(※3)。当初は書くことが苦痛でしかなかったが、しだいに頼まれる文字数も増え、2009年には最初のエッセイ集『そして生活はつづく』を上梓するにいたる。
星野は『そして生活はつづく』のテーマとして、《つまらない毎日の生活をおもしろがること》を掲げている。そもそも彼は生活というものが苦手で、強い劣等感も抱いていた。そんな自分を忘れるために映画や芝居、音楽やマンガなどに没頭したが、《その逃避の時間が終わって普通の生活に戻る瞬間、とてつもない虚無感に襲われた》。そこで、今度はその逃避できる世界をつくる側に回ろうと、役者や音楽、物書きを仕事にする。だが、虚無感から逃れるべく仕事を入れまくった結果、仕事での達成感と生活に戻った直後の虚無感の差はますます広がり、あげく過労で倒れてしまった。そんな彼に、母親は《過労? ……ああ。あんた、生活嫌いだからね》、《掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょあんた。だからそういうことになるの》と諌めたという。この一言で気持ちを改めた彼は、《毎日の地味な部分をしっかりと見つめつつ、その中におもしろさを見出すことができれば、楽しい上にちゃんと生活をすることができるはずだ。そしたらあの「とてつもない虚無感」もなくなるかもしれない》として、先のテーマを掲げたのだった(以上、引用は※4)。