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オタクへの注目、加害者家族のその後……「宮崎勤事件」は昭和と平成の分岐点だった

取調室での「肉声」から事件を振り返る

2019/01/31
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平成に入って「加害者家族」のその後に焦点が当たるように

 逮捕後、宮崎勤の実家には「おまえも死ね」「娘も同じように殺してやる」などと書かれた差出人不明のハガキや封書が届き、嫌がらせの電話も続く(注1)。そんななか、妹のひとりはすぐに仕事を辞め、予定していた結婚も自ら「破棄したい」と申し出る。別の妹は通っていた看護学校を退学。そして印刷所を営んでいた父親は自宅のあった土地を売って遺族への賠償金にする目処がついたところで自殺する。    

 最近では、秋葉原通り魔事件の弟が「加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです」と交流のあった週刊現代の記者に話した1週間後に自殺(注2)して世の中に衝撃を与えた。あるいは和歌山カレー毒物混入事件や北九州監禁殺人事件の子供が事件後どう生きたかを取材したTV番組が評判になるなど「加害者家族」に目が向けられるようになる。これも平成の事象といえようか。

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「『オッパイ』で育てない子は『宮崎』に」オタク迫害始まる

 宮崎勤が逮捕されても、世間は落ち着きを取り戻すことはなかった。こんどは「宮崎勤」、カッコ付きの宮崎勤に怯えることになる。女性週刊誌には「『オッパイ』で育てない子は『宮崎』になる!」(女性セブン)という記事が登場するなど、もはや集団ヒステリーである。そしてカッコ付きの宮崎勤は、幼児性愛や屍体愛好などまでをもオタクに紐付ける、カッコ付きのオタク像を生み出す。

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 それは宮崎勤の「部屋」の写真の影響によるところが大きい。6000本近いビデオテープが並び、乱雑に雑誌が積まれた部屋の写真が公開され、ここからあの異常な犯罪が生まれたのかと戦慄させたのだ。もっとも今では、それが撮影の際に手が加えられたのは広く知られているのであるが。

 たとえば報道陣が部屋を撮影する現場にいた週刊誌記者・小林俊之は後年、次のように書く。雑誌の山に《エロ漫画『若奥様のナマ下着』があった。それをひょいと抜いたテレビカメラマンは、上に載せ撮影した。性犯罪者の「いい絵」を撮るための演出である》。というのも《マスコミ的においしいブツが、思っていたほど勤の部屋にはなかったのだ》(注3)。