殺害した幼女の骨を被害者宅に送りつける猟奇性、奇怪な字体の犯行声明、逮捕後に公開されたビデオテープが蝟集する部屋、法廷での「ネズミ人間に襲われるのが怖くて」などの意味不明な証言……宮崎勤ときいて思い浮かべるのはこうした異常さだろうか。
しかしこのたび出版された安永英樹『肉声 宮﨑勤 30年目の取調室』(文藝春秋)での宮崎勤はだいぶ様子が異なる。逮捕直後の取調室では「普通の青年だという感じ。言葉も柔らかいし、普通に話もする」(立ち会った巡査部長・談)であった。死体に興味があるわけでもなければ、「ネズミ人間」を云々するわけでもなかったのである。
現実と虚構の区別がつかない、まどろみのなかの殺人者。そう思われてきた宮崎勤であったが、ときに刑事と軽妙な掛け合いをし、ときに刑事の腹をさぐりながら用心深く供述する。異常な人間の異常な殺人ではなく、普通の人間の異常な殺人、『肉声』を読み進めるとそう思えてくるのである。
「宮崎勤事件」は平成と昭和の分岐点だった
宮崎勤事件とはどのような事件であったか。昭和63年8月、埼玉県入間市の4歳の女の子が行方不明になったのをきっかけに次々と幼女が消えていく。平成に入ると被害者の自宅玄関前に遺骨を入れた段ボール箱を置き去り、数日後に「今田勇子」の名で犯行声明を送るなどする。その文面などから犯人像を皆が推理するなど劇場型犯罪へと化していった。そして7月の終わり、宮崎勤は逮捕。4人の幼女を殺害した咎で平成20年、死刑が執行される。
昭和と平成の端境に起きたこの事件は、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」などと呼ばれもするが「宮崎勤事件」のほうが馴染み深い。このように事件名に殺人者の名が入るのは、加害者の人権への配慮からなのか、平成に入るとなくなっていく。たとえば『殺人百科データファイル』(新人物往来社)だと平成以降では、「宮崎勤・連続幼女誘拐殺人事件」と「小野悦男事件」(昭和40年代に逮捕され逆転無罪を得た者が別の事件で逮捕)のみである。昭和であれば「大久保清事件」「勝田清孝事件」など枚挙にいとまがないのだが。殺人事件の呼称においても分岐点となる事件であった。