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オタクへの注目、加害者家族のその後……「宮崎勤事件」は昭和と平成の分岐点だった

取調室での「肉声」から事件を振り返る

2019/01/31
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“ビデオブームの中で、現実感を喪失した(宮崎型)犯罪予備軍”

 こうした部屋の写真もあって、オタク迫害というべき事態がはじまる。精神科医・中田修の「ビデオブームの中で、現実感を喪失した(宮崎型)犯罪予備軍的な若者は相当いる」というコメントはその典型だろう(注4)。これに見られるように、〈ビデオマニア=虚構と現実の区別がつかない〉〈コレクター=ひとをモノ扱いする〉〈アニメ好き=いつまでも未熟で大人になれない〉といった具合に趣味嗜好を異常な人格と結びつける風潮が巻き起こるのである。そんなふうに石もて追われる存在となったオタクの被害者意識からか、「ここに10万人の宮崎勤がいます」の都市伝説も生まれさえする

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 理解不能な出来事はひとを不安にさせる。するとそれを自分たちとは違う「異常なもの」のせいにすることで安心を得ようとする。切断操作というものである。平成のはじめに起きたオタク迫害もそれであったろう。

冤罪事件でも登場したオタクへの偏見

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 宮崎勤事件を借景としたものに足利事件がある。これは平成2年に女児が殺害された事件で、逮捕・実刑判決を受けた男性が、後に無実であることが判明する。清水潔『殺人犯はそこにいる』(新潮社)によれば、警察は犯人と見込んだ者をロリコンと決めつけ、その者の借家にあるビデオテープからアダルトビデオだけを押収して、新聞に「この『週末の隠れ家』には、少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌がある」と報じさせる。しかし清水潔がそれらをチェックしたところ「いわゆる巨乳系とでも言うのだろうか、一本残らずグラマーな女性のビデオだ。ロリコン物など一本も無」かったのである。