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「平成最後のコミケ」で振り返る、拡大と混乱の連続だった30年間

「少女たちの狂宴」と呼ばれるほど女性参加者が多かった時代も

2018/12/29

「10万人の宮崎がいます!」の真相は?

 宮崎がコミケ参加者で殺人者なのは事実だが、C35だけで8,900サークル、7万人が参加し、C35まで累計で58,896サークル、約60万人が参加している。これだけの参加者を宮崎と同一視する報道は明らかに無茶があるのだが、この頃は様々なマイノリティへの人権意識もヘッタクレもなく、平然とまかり通っている。

 この際のマスコミの報道については、コミケ参加者の間で暗い記憶として語られ、真偽不明の話も真実味を持って伝えられてきた。中でも21世紀に入ってから目にするようになったのは、コミケ会場から「10万人の宮崎がいます!」とTVレポーターが伝えたという噂だ。筆者はこの噂に関して検証を行い、言ったとされるレポーター、当事者であるコミケ準備会関係者にも話をうかがったが、結局そのような事実は確認できなかったことを「『10万人の宮崎勤』はあったのか?」で明らかにした。しかし、今もなおこの噂は広まり続けており、根深さを窺わせている。

 それが今や、筆者が文春オンラインにコミケの記事を書き、筆者の担当編集の奥様もいわゆる「腐女子」で、自宅にBL本の棚があるというのだから、時代は変わったものだなあとしみじみと思う。

2009年夏に開催されたC76の様子 ©共同通信社

「究極の会場」であったはずの幕張メッセだが……

 平成初期にコミケを襲った事件といえば、最も重要なものに幕張メッセからの追放がある。昭和から切迫していた会場問題だったが、1989年10月に「東洋一」の規模と謳われた幕張メッセがオープンすると好転するかに見えた。幕張メッセへの移転を前にしたC36カタログに掲載された代表あいさつでは、幕張メッセを「究極のコミケット会場」と形容しており、その期待の大きさがうかがえる。同年12月のC37は、早くも幕張メッセに会場を移して開催されている。

 ところが、「究極の会場」であったはずの幕張メッセも長続きしなかった。1991年2月に東京の3書店がわいせつ図画販売目的所持の容疑で摘発されたが、このわいせつ図画とは成人向け同人誌だったのだ。また、C39で売られていた同人誌が幕張メッセを管轄する千葉西署に持ち込まれ(経緯は諸説ある)、コミケ準備会や幕張メッセ関係者が聴取を受けた。同年5月9日には、漫画家4人が書類送検されている。これらの事件は1990年代前半に表現規制を巡って争われた「有害コミック騒動」の一幕で、この騒動では漫画家・出版社らが「仮面ライダー」等で知られる石ノ森章太郎を代表として「コミック表現の自由を守る会」を組織するなど、漫画業界全体が大きな危機感を持って行動したが、コミケにとっても最大の危機だった。

 1991年4月に幕張メッセ側から8月のC40開催について一方的な拒否が通告され、これによりC40の開催が危ぶまれたが、かつての会場だった東京国際見本市会場(その後、東京ビッグサイト完成にともない1996年に閉場)が条件付きで引き受けたため、ギリギリのところで開催に漕ぎ着けることができた。以降、コミケでの頒布物に対しては、準備会側からの事前チェックが行われるようになるなど、運営にも大きな影響を与えた。