トム・クルーズとの結婚時代、トロフィーワイフとしての評価に甘んじることが少なくなかったニコール・キッドマンだが、今のキャリアに疑問を挟む映画人はいないだろう。女優を美しき鑑賞物として消費することの決定権を持つ男性たちの眼差し(MALE GAZE)の欲望を満たす役ではなく、女性自身の能動的な眼差し(FEMALE GAZE)を生かした役への挑戦はここ数年、彼女の独壇場ともいえる。『ドッグヴィル』や『ペーパーボーイ 真夏の引力』のように観客がひるむような禍々しい受難の物語に身を置き、『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』での園長役のように性への欲望を露わにする役も厭わない。
2017年、高まる#MeTooの中、キッドマンが宣言したこと
ハリウッドで#MeTooの波が高まった2017年、ニコール・キッドマンは「今後は1年半ごとに女性監督と仕事をする」と公の場で宣言して以降、この8年で映画やテレビドラマシリーズで少なくとも19人の女性監督との仕事を実現させた。中でも、50代になっての新たな代表作となったのが『ベイビーガール』のロミーである。
女優から脚本家、監督に転じたハリナ・ラインがベルギーの年下の著名な俳優から人前で牛乳を飲むように挑発を受けたことにアイディアを得て、書いたオリジナルストーリー。ニコール演じるロミーは物流でのロボットによるオートメーション化を実現する企業のCEOで、二人の娘、演出家の夫(アントニオ・バンデラス)とNYの瀟洒なタワーレジデンスで暮らす。満ち足りた生活に見えるが、彼女の書いたスピーチの草稿に夫は悪意なく手を入れ、常に第三者からどうみられるべきか細かな指示を出す。夫がリハーサル中の戯曲のタイトルが意味深だ。ヘンリク・イプセンの1891年初演の「ヘッダ・ガーブレル」で、結婚したばかりというのに、夫との暮らしにも人生にも飽きているヒロインの破滅の物語であるのだから。
前半は、衆目に晒されることの多いロミーの自身を抑制する描写が続く。だが、通勤途中のストリートでロミーの元に大型犬が突進してきて、あわやというとき、彼女の企業のインターンであるサミュエル(ハリス・ディキンソン)が咄嗟に犬をてなずける。艶やかな犬の毛を優しくなでるサミュエルの指の動きに目が釘付けとなり、その視線に気づいたサミュエルは大胆にもオフィスで彼女に性的な駆け引きを仕掛けてくるようになっていく。