あまりに違った、裁判での証言と取調室での「肉声」
冒頭でも紹介した安永英樹『肉声 宮﨑勤 30年目の取調室』は、14日間の取り調べを録音した音声テープをもとにしたものである。逮捕直後の宮崎勤はメディアが謳い、世間が恐れる、現実と虚構の区別がつかない「オタク」像からは程遠かったことが、本書からはうかがえる。おまけに取り調べた刑事はロリコンとも見ていない。むしろ「普通の青年」であった(といっても殺人者なのだが)。
ときに「言っちゃ悪いけど、方向音痴じゃないですか?」と軽口を叩いたり、殺害した女児について罪悪感を覗かせ「可哀想に、と思っています」と供述する。それが取調室の宮崎勤であった。
ところが翌年から始まる裁判では一変する。たとえば「祖父再生の儀式」として被害者の血液を飲んだと証言する。じつは取り調べでは「飲みませんよ! とてもじゃないです」と明確に否定している。こうした変わりように刑事らは「面食らった」「取り調べの段階で、宮崎の異常性を示すものは出てこなかった」と驚く。
世の中が求めた、オタク像としての「宮崎勤」
「夢の中で起きたような気がする」「気づいたらマネキン人形(死体のこと)みたいのが倒れていた」……法廷でこんなことを口にしていく宮崎勤は、世の中が求める、お誂え向きの「宮崎勤」であるかのようだ。『肉声』によれば、宮崎勤は拘置所で自分について書かれた書籍を大量に購入している。創りあげられた「宮崎勤」に自覚的であっても不思議ではあるまい。
宮崎勤が偏見から生まれた「オタク」像に近づいていったのとは反対に、オタクは平成の年月を重ねるごとに文化と消費の担い手として日本社会を席捲するようになり、それどころかOTAKUとして世界に通じる言葉になりさえするのであった。それでも表現規制が議論される際などに、カッコつきのオタク像がいまも亡霊のように現れるのであるが。
(注1)坂本丁次「単独会見記 針のムシロに坐る父親」文藝春秋1989年10月号
(注2)齋藤剛「『秋葉原連続通り魔事件』そして犯人の弟は自殺した」週刊現代2014年4月26日
(注3)小林俊之『前略、殺人者たち』ミリオン出版
(注4)『幼女連続殺人事件を読む 全資料 宮崎勤はどう語られたか?』JICC出版局