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 一般的に言って、20代から60代半ばの国民は、よく働き、税金を国に納めてくれる。大きな病気をする確率も低い。一方で、60代半ばを越えると、多くの人は仕事を辞め、年金や貯金で暮らすようになる。病気をする確率も上がり、医療費もかかる。

 また、貧富の差は高齢者のほうが大きい。これまでどんな生活を送ってきたかで、財産や貯蓄に大きな差があるからだ。生活保護受給者の実に45%以上が、65歳以上の高齢者である。

 結果的に、国は巨額のお金を高齢者の社会保障のために使わざるを得ない。社会保障費の中の高齢者関係給付費は平成の間に約3倍となり、80兆円規模にまで拡大している。しかも、有権者の数が多いので、政治家は高齢者向けの福祉をなかなか削減できないだろう。

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若者向けのエンターテインメント産業のピーク

 現役世代の減少は、消費も冷え込ませる。概して、若者のほうが購買意欲が高く、高齢者のほうが貯蓄傾向にあるからだ。

 日本の小売業販売額のピークは1996年である。これは全国の百貨店やスーパー、通信販売などあらゆる売上を合算したものであるが、燃料小売業を除いてそれ以降減少の一途を辿っている。

 また、日本国内の書籍・雑誌の販売部数は1996年、音楽CDの販売枚数は1998年にそれぞれピークを迎えている。『週刊少年ジャンプ』が史上最高発行部数の653万部を記録したのも1995年。90年代半ばはとにかく若者向けエンターテインメント産業が元気だった。

 残念ながら、少子高齢化は止まることはないだろう。人口動態は急には変わらないからだ。本当は平成が始まった頃に手を打っておくべき問題だったと思う。1990年代にきちんと労働時間の削減に本腰を入れたり、保育園を整備したりして、結婚や出産を経ても、男女が働きやすい環境を作るべきだった。

日本政府は何を頑張っていたのだろうか

 代わりに日本政府は1990年代に何を頑張っていたのだろうか。昭和の延命だ。

 社会学者の小熊英二は著書『平成史』の中で、「平成」を次のように定義していた。1975年前後に成立した日本型工業社会が機能不全になりながらも、価値観の転換を拒み、問題の先延ばしのために多額の補助金と努力を費やしてきたのが平成である、と。

 日本型工業社会とは、言い換えれば「ものづくりの国」のことである。1980年代までの日本は、冷戦下の中国が「世界の工場」になれない中、製造業によってその名を世界に馳せていた。

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 しかし平成が始まり、国際情勢が変化してしまう。円高や冷戦終結によって、大手製造業者がアジア諸国に生産拠点を移したのだ。製造業の就業者数は1992年をピークに頭打ちとなり、1994年にはサービス業の就業者数に抜かれている。